栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は冬の部から一首、
池氷
ひゐとろの徳利とみりや薄氷あれあれ金魚もうこくぬり池
ひゐとろの徳利とぬり池の関係がよくわからない。金魚がいて、あまり大きくない池だろうか。狂歌家の風にはぬり池が出てくる歌がもう一首ある。
塗池蛙
うるしにはあらねと是もぬり池のもやうと見ゆる青かいるかな
漆ではないけれど、青蛙が塗池の模様に見えると詠んでいる。しかし、塗池とはいかなるものか、想像しにくい。漆で塗って模様があるのか、漆はぬり池の縁語に過ぎないのか、不明のままだ。「狂歌桃のなかれ」にも塗池の歌が一首ある。
塗池朧月 竹習
春の夜をぬくひうるしか朧なる月も宿かるぬり池の内
ここにも漆が入っているが、ひうるしは緋漆か火漆か、そして塗池がどんなものかはっきりとはつかめない。ここまで読んだ他の狂歌には出てこなくて、貞国とその門人の歌のみ。狂歌以外で探してみると、高浜虚子「発行所の庭木」に、
「又た植木屋が云ふには、これは此処にある塗池が破損してゐて水が漏る為めに松が痛むのである、この池を潰してしまったならば助かるかも知れないと。私は又た容易に植木屋の言葉を信じて、その池を潰してしまった。」
とあるけれど、あまり塗池の参考にはならない。それに虚子といえば伊予の人、西日本のこのあたりでだけ流行った題材という可能性もあるのだろうか。この発行所がホトトギス発行所だとすると、虚子が手掛けるようになったのは拠点が松山から東京に移ってからということになる。この他では、「ほととぎす」第12巻に塗池に金魚を入れているような文章が書籍検索で引っかかるのだけど、まだ紙の本にあたることができていない。これも伊予人による記述なのかどうか、早く見てみたいものだ。
という訳で、縁語ではなくて本当に漆が塗ってあるのかどうかなど、まだまだ探してみないといけないようだ。しかし、寛政期から明治にかけての庭池にあったもので、貞国とその門人たちにとっては狂歌の素材だったのは間違いない。都会では、すでに流行を外れていたということもあったのだろうか。今回わからないことだらけで申し訳ないが、氷が張るような寒さがあるうちに一度書いておきたいということでご理解いただきたい。