夜桜をみにゆくころ、きょうのような温度だった気がする。空気のおもさというのかな、こんなかんじだった気がする。
(油断すると風邪ひくから、注意です。)
こんな夜をかんじると、うかぶ桜がある。
わたしは22才くらいだったのかな。当時、朝から晩まで誰よりも一緒に過ごし、その年のボーナスを会社帰りの外食に二人して全部そそいだ友人と、いちばん面倒をかけた先輩と三人で、残業帰りの駅までの道すがら見た枝垂れ桜。
住宅街のはしっこにひっそりある大きな1本の桜の木で、そこに住む人たちが通りすがりに見上げるくらいの、ずっと前から通りをながめているような、やさしい木。
誰がいいだしたか、途中コンビニによってビールのチビ缶を買い、薄ぐらい街灯の道を遠回りして、桜の木のそばのガードレールによりかかり、買ってきたチビ缶をあけた。小さな声で話しをしては笑った。
車も人もいない静かな夜だった。きょうのような暖かさと寒さがまじった夜だった。
その後もしばしば桜を見にでかけた。ひとりで、ときに大勢で。
京都の有名な桜、近所の人々で夜な夜なにぎわう桜、友人の部屋でみた小さな花が一輪だけ咲く盆栽の桜。
なのにどうしてか桜というとあの夜、うす暗い街灯に照らされてぼんやり光る桜と、小さく笑う友の顔が、まるで映画館のスクリーンにうつしだされるようにしてうかんでくる。
それはすごくいとおしいかんじの、きっとこれから見る桜にもきえてしまわないといま確かにいえる桜の風景。
肌でかんじた温度が、記憶をぐっと引きよせる。
懐かしさにあたたかくなった帰り道でした。
(油断すると風邪ひくから、注意です。)
こんな夜をかんじると、うかぶ桜がある。
わたしは22才くらいだったのかな。当時、朝から晩まで誰よりも一緒に過ごし、その年のボーナスを会社帰りの外食に二人して全部そそいだ友人と、いちばん面倒をかけた先輩と三人で、残業帰りの駅までの道すがら見た枝垂れ桜。
住宅街のはしっこにひっそりある大きな1本の桜の木で、そこに住む人たちが通りすがりに見上げるくらいの、ずっと前から通りをながめているような、やさしい木。
誰がいいだしたか、途中コンビニによってビールのチビ缶を買い、薄ぐらい街灯の道を遠回りして、桜の木のそばのガードレールによりかかり、買ってきたチビ缶をあけた。小さな声で話しをしては笑った。
車も人もいない静かな夜だった。きょうのような暖かさと寒さがまじった夜だった。
その後もしばしば桜を見にでかけた。ひとりで、ときに大勢で。
京都の有名な桜、近所の人々で夜な夜なにぎわう桜、友人の部屋でみた小さな花が一輪だけ咲く盆栽の桜。
なのにどうしてか桜というとあの夜、うす暗い街灯に照らされてぼんやり光る桜と、小さく笑う友の顔が、まるで映画館のスクリーンにうつしだされるようにしてうかんでくる。
それはすごくいとおしいかんじの、きっとこれから見る桜にもきえてしまわないといま確かにいえる桜の風景。
肌でかんじた温度が、記憶をぐっと引きよせる。
懐かしさにあたたかくなった帰り道でした。