カフェロゴ Café de Logos

カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

【エチカ福島企画】いま、水俣から福島を想う

2023-02-03 | 〈3.11〉系

【会場】福島大学集会所 如春荘(福島市森合台13−9)
【主催】 熊本大学・石原明子研究室 × エチカ福島
【パネル展示期間】 2023年3月6日-2023年3月12日
          11時から19時(最終日3/12は15時まで)
【入場料】 無料
【対話イベント】
 2023年3月11日 14時~17時(如春荘和室にて)
 展示パネルを読んだうえで、各々が思う「3.11」について語りあう会をもちます
【参加申込】当日参加もOKですが、可能な限り参加希望のメッセージをいただければ助かります。
【飲食物】ソフトドリンクをご用意してます

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この展示は、JSPS科研費 15K11932、19H04356の助成を受けた研究の成果そして研究の一環です。
対話イベントは、原発事故に関する研究と対話活動記録の一環として、個人情報に配慮したうえで記録に残させていただきますが、ご了承ください。
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 東日本大震災それに続く原発事故から12年が経とうとしています。東日本大震災による被害は、見た目には「復興」が進んだように見えますが、人々の心の中や生活には癒されない傷がまだ残り続けています。とくに重大な環境災害である原発事故の被害は、半永久的に続き、それに対する「取り組み」が、社会の状況をさらにややこしくしているように見えることすらもあります。
 熊本大学石原明子研究室では、水俣病を経験した水俣地域の人々と原発事故被災者の交流をこの10年続けてきました。本メッセージは、この10年を経ての水俣の人たちから福島への思い、そして、水俣に来てくださった福島の人たちの思いです。水俣病公式確認から55年目の年に起こった東京電力福島第一原発事故。二地域が背負った生餌にも重なりあうような課題とメッセージ。私たちはこの二つの地域で起こったことにどのように向き合い、未来にこの地球を手渡していけるのでしょうか。(熊本大学 石原明子)

 エチカ福島は〈3.11〉以後の倫理を考えるために、これまでに様々なゲストを招き参加者との対話を試みてきました。その中には水俣からのゲストとの交流もありましたが、そこで私たちが求めたことは、ひとえに未曽有の公害事件を経験した水俣が得た教訓と希望でした。このたび熊本大学・石原明子研究室との協力で開催する本企画展でも、その思いは同じです。水俣の人々から福島へ向けられた言葉、そして福島から水俣とつながった人々の言葉一つひとつをご覧いただきながら、12年前の原発事故という人災について参加者の皆様と対話しながら考えを深める機会になれば幸いです。(エチカ福島)

著者と読む『〈政治〉のこれからとアーレント——分断を克服する「話し合い」の可能性』

2023-01-12 | 哲学系


【テーマ】著者と読む『〈政治〉のこれからとアーレント——分断を克服する「話し合い」の可能性』
【日 時】2023年2月12日(日)13:00~16:00
【ゲスト】佐藤 和夫(千葉大学名誉教授/哲学)。
【会 場】福島市写真美術館多目的ホール
      福島県福島市森合町11−36
【参加申込】メッセージよりご氏名とメールアドレスを記載の上でお申し込み下さい。


「いま、〈政治〉に何ができるのか?
収束なきコロナ禍、恒常的な雇用の不安定化、深まる社会的孤独と孤立感、そして「役に立たない人」を排除する全体主義の影……この「危機の時代」において、求められる〈政治〉とは何か。異なる他者との共生とそれを可能にする「自由な政治空間」の実現のため、60年代学生運動の反省的考察を通じて、今こそハンナ・アーレントの到達点〈活動と話し合い〉の効力を問う」(花伝社)
複数性の時代を迎えるための、渾身のアーレント論を論じた本書の著者である佐藤和夫氏を招いて、この本を通して自由闊達に今の世界とこれからの〈政治〉について語らいましょう!
新型コロナ感染対策のため定員数を設けます。
参加希望の方は、必ずメッセージを主催者にお送り下さい。
主宰者としては、できる限り事前に本書に読んで参加していただくことを望みますが、話を聞いてみたいという方でも参加できます。

●著者紹介●
佐藤 和夫(さとう・かずお)
1948年生まれ、千葉大学名誉教授(哲学)。
著書に『〈政治〉の危機とアーレント』『仕事のくだらなさとの戦い』、『ラディカルに哲学する』シリーズ(大月書店)、訳著にハンナ・アーレント『精神の生活』『政治とは何か』(岩波書店)、『カール・マルクスと西欧政治思想の伝統』、J・ギリガン『男が暴力をふるうのはなぜか』(大月書店)ほか。

●目次●
はじめに
第一章 歴史の「今」と自由の「遺言」
第二章 「私的所有」が保障する思考
第三章 「胃袋の反乱」としての「革命」から「連帯」による「活動」へ
第四章 マルクス思想の出発点としての「私的所有」
第五章「政治的自由」と統治
第六章 二一世紀の「政治」の可能性と「自分らしくいられる」文化の形成
あとがき


『さとにきたらええやん』上映会のご案内

2022-07-20 | メディア


来る8月28日(日)にフォーラム福島にて、西成こどもの里の荘保共子さん、大阪大学の村上靖彦さん(哲学)、北海道大学の石原真衣さん(サイレントアイヌ・文化人類学)をお招きした『さとに来たらええやん』の上映会があります。
 石原真衣さんはカフェロゴにゲストとしてお招きした方で、そのご縁で荘保さんや村上さんと出合わせていただきました。
ふるってご参加ください。前売り券はフォーラム福島にて販売しています。


重江良樹監督作品『さとにきらたええやん』(公式HPより)
 大阪市西成区釜ヶ崎。“日雇い労働者の街”と呼ばれてきたこの地で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」。
“さと”と呼ばれるこの場所では0歳からおおむね20歳までの子どもを、障がいの有無や国籍の区別なく無料で受け入れています。地域の児童館として学校帰りに遊びに来る子や一時的に宿泊する子、様々な事情から親元を離れている子だけでなく、子どもの親たちも休息できる場として、それぞれの家庭の事情に寄り添いながら、貴重な地域の集い場として在り続けてきました。
本作では「こどもの里」を舞台に、時に悩み、立ち止まりながらも力強く成長していく子どもたちと、彼らを支える職員たちに密着。子どもたちの心の揺れ動きを見つめながら、子どもも大人も抱えている「しんどさ」と格闘する人々の切実な姿を描き出しました。
 人と人とが関わり合うコミュニケーションが希薄になり、地域のコミュニティが失われつつある現在の日本。大阪市西成区釜ヶ崎は今でも日雇い労働者が集う喧噪の街ですが、昨今ではあまり見られない、地域内のコミュニケーションが現存している街でもあります。
「こどもの里」はそんな釜ヶ崎の子どもたちにとって大切な“居場所”です。
子どもたちを巡る状況が急激に変化している今、あらためて注目されている「こどもの里」の取り組みは、これからの社会を歩む私たちに子どもも大人も安心できる“居場所”とは何か、問いかけています。
 「こどもの里」の活動を通して、画面いっぱいにあふれ出る子どもたちや、釜ヶ崎という街の魅力を捉えたのは、大阪在住の重江良樹監督。ボランティアとして「こどもの里」に通い始めてから丹念に取材し、初監督作品として本作を完成させました。音楽は地元・釜ヶ崎が生んだヒップホップアーティスト、SHINGO★西成。ストレートで飾らないメッセージの中に、街で生きる人々への熱い思いがつまったSHINGO★西成の楽曲が、生きることそのものを力強く肯定し、映画全体をあたたかく包み込みます。

【満員御礼・募集を締め切ります】いま求められる「政治的リアリズム」「政治責任」とは ~丸山眞男「政治的判断」を読む

2022-07-04 | 政治系


【テーマ】いま求められる「政治的リアリズム」「政治責任」とは
     ~丸山眞男「政治的判断」を読む~
【日 時】2022年7月16日(土)15:00~17:00
【ゲスト】笠井哲也氏(朝日新聞記者)
【会 場】如春荘
     福島市森合字台13-9
     最寄り駅:美術館図書館前駅[出口]から徒歩約1分
【参加申込】メッセージよりメルアドを記載の上でお申し込み下さい

満員御礼にて参加募集を締め切らせていただきますm(__)m
 
 超久しぶりのカフェロゴです。
 この間、コロナ問題やら職場の殺人的激務やらで先延ばしに延ばしてきましたが、2.24ウクライナ侵攻が収束を見ない今、何もせずにはいられないという声を受けて、ようやく重い腰を挙げての開催です。
 「ウクライナ問題を議論しないのか!」という檄は飯舘村にお住いの方よりいただいていました。
 以来、「やるやる詐欺」を貫いていたのですが、今回、朝日新聞記者である笠井哲也氏より、以下の趣旨での開催オファーがありました。

 ロシアのウクライナ侵略が世界を大きく揺るがしている。国内でも防衛政策や原発政策の一大転換が視野に入り、憲法改正も現実味を帯びる。一方で、我々はどこまで、政治を自らの責任のうちにとらえ、議論を深めてきたのか。丸山眞男の「政治的判断」をテキストとして、「政治的リアリズム」「政治責任」のあり方について改めて考えてみたい。

 7月10日には参議院選挙があります。
 その結果を受けての政治的判断を考えるにはうってつけのテーマです。
 ぜひ多くの皆さんにご参集いただき、久しぶりの熱い議論を交わしましょう!
 なお、新型コロナ感染対策のため定員制としますので、参加希望の方はメッセージで必ずお知らせ下さい。レジュメなどの資料をお送りします。
 定員を満たした場合は参加申し込みをお断りさせていただく場合もございます。あしからずご了承ください。

【ご案内】「沈黙を残す:オートエスノグラフィックな経験をめぐる対話」

2022-06-24 | 哲学系


直前で恐縮ですが、このたび、渡部が日本質的心理学会研究交流委員会企画「沈黙を残す:オートエスノグラフィックな経験をめぐる対話」へ登壇させていただくことになりましたので、ご案内申し上げます。。

【日 程】2022年6月26日(日)15:00~17:00
【開催方法】対面+Zoomを用いたオンライン形式
      対面:大阪大学人間科学研究科51講義室にて参加
      オンライン:Zoomによるライブ配信に参加
【講 師】石原真衣(北海道大学アイヌ・先住民研究センター)
     渡部純(福島県立福島東高校)
     宮前良平(福山市立大学都市経営学部)
【参 加】会場の都合上、対面での参加は先着30名様に制限いたします。
     会員非会員問わず無料でご参加いただけます。
【お申し込み】上記の日本質的心理学会HPよりお申し込みください。

【オンライン開催】「原発事故と教育の危機」を考える会

2021-08-29 | 〈3.11〉系


【テーマ】「原発事故と教育の危機」
【日 時】2021年9月23日(木・祝)19:30~21:00
【司 会】佐藤靜(大阪樟蔭女子大学)
【報告者】渡部 純(福島東高校)
【会 場】zoomによるオンライン
【参加申込】 参加希望のメッセージをお送りいただいた方にzoomのIDとパスワードをお知らせします。
【開催趣旨】

 コロナ禍により、なかなか対面での言論カフェが開催できない葛藤の中、zoomオンラインにて「原発事故と教育の危機」問いうテーマで開催させていただきます。
 このテーマは、来る10月1日に開催される日本倫理学会ワークショップにて渡部が報告するものです。そこでは福島における「教育の政治化」の問題と原発事故の記憶の世代間伝達の意味について考えていることを報告する予定なのですが、学校現場に立つものとしてたいへん語りにくい問題でもあります。
 福島に住んでいる以上、原発事故をめぐる記憶や伝承の問題はそれぞれの立場において複雑極まりない状況が残存してており、そこにおいて「原発事故と教育の危機」を論じることなど、とても手に負えないことは重々承知しています。そうであるにもかかわらず、この問題は避けては通れないものであることも確かだと思うのです。
 そこで、たいへん恐縮なのですが、学会発表の前にとりわけ福島在住の方に内容をお聞きいただいて忌憚のないご意見をいただく機会を設けさせていただくことに致しました。



 倫理学会で発表する予稿は、こちらをクリックしていただければ読むことができます。
 ⇒ 日本倫理学会10 月1 日(金)  ワークショップ  18 時00 分~20 時00 分
   第2 会場 東日本大震災から見えて来たこと(九) ――女・子どもの倫理(7):「十年が過ぎた時点で」(高橋 久一郎、金井 淑子、川本 隆史、渡部純)

 ちなみに、日本倫理学会のワークショップは事前申し込みさえすれば、非学会員の方も無料で参加できますので、よろしければ当時のご参加もウェルカムです。
 ⇒ 第72回日本倫理学会参加フォーム
 もちろん、カフェロゴには福島県外の方でも参加できます。
 多くの皆様のご意見をお聞かせいただき、活発な議論になることを期待します。(文:渡部 純)

〈サイレント・アイヌ〉を考える会・参加条件・注意事項

2021-08-01 | 歴史系



8月1日、「〈サイレント・アイヌ〉を考える会」が開催されます。
既に参加申し込みは締め切らせていただいております。
参加される方は以下の注意点をお守りいただいたうえで、ご参加いただけますようお願いいたします。

1.コロナ感染者数が心配される社会状況にありますので、体調が思わしくないなど不安がある場合には、くれぐれも参加はお控えください。

2.参加者の皆様には、事前に体温を計測してご参加いただき、受付にて緊急連絡先といっしょに申告していただくようになります。なお、37℃以上ある場合にはご参加いただけません。

3.マスク着用および入室前の手洗い・手指消毒を徹底してください。

よろしくお願いいたします。(主催者)

「サイレント・アイヌ」とは何か【参加募集を締め切りました】

2021-07-12 | 歴史系

※写真は石原真衣さんの博士論文をまとめた『〈沈黙〉の自伝的民族誌(オートエスノグラフィー) サイレント・アイヌの痛みと救済の物語』(北海道大学出版会)の表紙

【テーマ】「サイレント・アイヌ」とは何か?
【日 時】2021年8月1日(日)15:00〜18:00
    15:00~15:45 石原さんによるトーク
    15:45~16:00 石原&渡部によるダイアローグ
    16:10~18:00 参加者とのダイアローグ
【ゲスト】石原真衣さん(北海道大学アイヌ・先住民研究センター,助教)
【会 場】ペントノート 福島市上町2-20 福島中央ビル2階
【定員】20名
【参加申込】 参加希望の方はメッセージをください。定員になり次第応募を締め切ります。
       満員御礼m(__)m参加募集を締め切りました。
【参加費】 ※ドリンクは各自でご購入下さい。会場費として300円いただきます。
【開催趣旨】

 「サイレント・アイヌ」。聞きなれぬこの言葉が意味するものとは何か。
 今回、北海道よりお越しいただくゲストの石原真衣さんは、〈アイヌ〉と〈会津〉にルーツをもつ文化人類学者です。石原さんは、その二つのルーツのあいだで沈黙してきた自身の経験を踏まえて、ご自分の家族の語りとファミリーヒストリーを分析しながら「サイレント・アイヌ」という概念を形成されました。それについて、石原さんの言葉を以下に引用します。

 「私は自己の出自を明かさなければ、アイヌと名指されることはないし、人生の多くを「サイレント・アイヌ」として過ごしてきたので、市民がいかにアイヌについて感じているかということを、身体を通じて感じてきた。私のように多くのアイヌ出自の者が沈黙することによって、アイヌの存在は自明のものとはされずに、社会は構成されてきだろう。なぜ、多くのアイヌ出自の人間が沈黙するのかという問題は、これまでほとんどタブーとして扱われてきた。私は「サイレント・アイヌ」として、この問題に当事者として取り組みたいと思ってきたが、「寝た子を起こすな」と何度も言われたことがある。それは、差別や偏見を恐れて、日本人として生きることを選択する人々にとって、やっと手に入れた穏やかな生活を脅かすなという警告でもあると思う。
しかし、多数派の社会の一員として生きる世界と、アイヌの出自が絶えず迫る別の世界を彷徨い続ける現代の<アイヌ>の生き方に違和感を覚え、沈黙したまま痛みを抱えることは、本当に自らが望んでいる生活といえるだろうか。
 アイデンティティの葛藤や回復といった側面からの議論ではなく、なぜ、現代を生きるアイヌ民族が沈黙するのか、そこにはどのような植民地主義的過去があったのかを検討することによって、これまで検討されてきた文化や福祉問題といった従来の先住民問題とは異なる、新たな視点を提供したい」(「沈黙を問う : 『「サイレント・アイヌ』」というもうひとつの先住民問題」,北方人文研究,2018年)


石原さんはこのような問いは、原発事故によって沈黙を強いられた福島においても共有される課題ではないでしょうか。
日本の植民地主義によって周縁化されたアイヌ民族の中に、さらに周縁化された「サイレント・アイヌ」という存在がいる。そのことを考えることは、私たちの社会のなかで沈黙を強いられているあらゆる存在への想像力を逞しくすることに通じるでしょう。
ぜひこの問題を皆さんで一緒に考えましょう!
久しぶりのカフェロゴに多くの皆様にご参加いただければ幸いです。

【参考資料】
動画:第1552回 アイヌルーツを持つ文化人類学者 石原真衣さん




「きみが死んだあとで」@フォーラム福島上映のご案内

2021-06-25 | メディア


久しぶりのブログアップですが、いつもお世話になっている映画館フォーラム福島支配人・阿部泰宏さんより「君が死んだあとで」のご案内がありました。
阿部さんイチ押しの映画です!
7月2日~8日までの上映になりますので、ぜひ足を運んでみて下さい。


【「君が死んだあとで」HPの紹介文より引用 http://kimiga-sinda-atode.com/】
すべては「第一次羽田闘争=きみの死」からはじまった
青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか

1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。
はじめてヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突。
そのなかで一人の若者が殺された。山﨑博昭、18歳。
機動隊に頭部を乱打されたためか、装甲車に轢かれたためか、死因は諸説あるが、彼の死は同世代の若者に大きな衝撃を与えた。
あれから約半世紀。
亡くなった山﨑博昭の高校の同級生たちや当時の運動の中心だった者たちは齢を重ね、山﨑だけが18歳のままだ。
生き残った総勢14人が語り継ぐのは美しく輝く青春とその後の悔恨。
闘争の勢いとその衰退も振り返りながら、さまざまな記憶と感情が交錯する。
青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか。
「きみの死」はまだ終わっていない。半世紀を経てもなお、その宿題は続いているのだ。

“歴史と記憶のはざま”が浮かび上がる
生き残った者のナラティブ(語り)で織り上げた長大なタペストリー
上・下巻合わせて3時間20分の大長編にまとめきった代島治彦監督は、『三里塚に生きる』『三里塚のイカロス』に続いて“異常に発熱した時代”に三度組み合った。
インタビュー中心のストイックな構成は、“歴史と記憶のはざま”を浮き彫りにし、ナラティブ(語り)によって織り上げられたタペストリーのようだ。
音楽・大友良英が作曲したフリージャズをベースにしたアナーキーな主題曲が重なり、時代の狂気と美しい記憶が混然一体となって押し寄せてくる。代島も大友も学生運動が熱を失った後の「しらけ世代」。
権力と闘い、革命を叫んだ「全共闘世代」への愛憎を忍ばせながら、 彼らの歴史的功罪を問う重厚なドキュメンタリーが誕生した。

【延期となりました】ウネリウネラ『らくがき』を読む会

2021-03-17 | 文学系
延期となりました。延期日程が決まり次第、再度ご案内申し上げます。



【テーマ】ウネリウネラ『らくがき』を読む会
【日 時】延期となりました
【ゲスト】ウネリウネラ
【会 場】未定
【参加申込】日時が決まり次第再募集をかけますので少々お待ち下さい。
【参加費】
【カフェマスター】渡部 純
【新型コロナウィルス対策】

  ・席数に限りがあります。
  ・参加者はマスク着用と体温計測をした上での参加をお願いします。
  ・体温が37.5度以上あった場合には、参加しないようにお願いします。
【開催趣旨】

福島市在住の物書きユニット、ウネリウネラが初出版した『らくがき』を読む会を開催します。
ウネリウネラは元朝日新聞記者のお二人、というかご夫婦です。
フリージャーナリストとして福島の問題を中心にブログで記事を書き続けている社会派物書きユニットですが、本書はそれとはまた一味違った日常を描いた10篇のエッセイ&詩が集められています。
ウネリウネラは本書に次のようなメッセージを込めています。
「自分自身の「小さなストーリー」を忘れないでいたい。たとえそれが幸せな筋書きではなくても、たったひとつの「かけがえのないもの」として、大切にしたい」
このメッセージのとおり、一つひとつのエッセイが心にしみます。
たとえば、第一話のおじいさんとの思い出をつづった「かぞえる」を読めば、なぜウネリのおじいさんの話を読みながら自分の祖父とのやり取りを想い出さずにはいられなくなるのだろう、と不思議な共振を呼び起こします。
あるいは、小さなわが子のいのちのかよわさとはかなさを同時に見つめた「いのちの影」という詩には、その喜びと悲しみの両義性を同時にもついのちの不可思議さについて、我がことのように語らずにはいられなくなります。
「神は細部に宿る」とはこういうことなのでしょう。
この素敵なエッセイ集を一つひとつ味わいながら、春を愛でるひと時を過ごしましょう。

ウネリウネラについてはこちらのブログをご参照ください➡ウネリウネラ
『らくがき』の試し読みはこちらから➡『らくがき』試し読み