虹パパの日記

40代介護福祉士です。日本を良い雰囲気にしたいです。

ざっくり自分史36〜社会人1年目「商品先物取引」営業職〜その6

2022-02-20 05:23:00 | 自分史
社会学部社会学科に入学し
メディア系のゼミに入り
周りのみんなに合わせるようにマスコミ志望。

特に「これがやりたい!」ってものはなく、
就活失敗。

私が就職できた会社が「商品先物取引」の会社

営業職だった父は猛反対。

でも他に就職できなかった私は
寮生活ができて、実家を離れて1人で暮らせる
という理由で、「自立したいんだろ?」
「苦労してみたいんだろ?」と無理やり自分を納得させて、父の猛反対を押し切り、その会社へ就職することを決めた。

「お前に商品先物の営業なんかできるはずがない」

父の心配は当たった。

1年も経たずに辞めることを決意して、上司に伝える前にと実家へ電話をかけた
勝手に涙が出てくる
鳴き声も漏れてしまう
電話口では母と話していたが、後ろで父が
「もう帰ってこい」
と言った。

そこからは飛び込み営業は元々興味のあった
「整体院」や「接骨院」「整骨院」をターゲットに。

どんな仕事で、どんな資格が必要で、どういうお客さんを相手にしているのか?

などなどを聞いて回った。

どんどん元気をなくしていった私を心配して
先輩は「今日は一緒に営業回ろう」と言ってくれて
東京タワーに登った
展望室から都心を覗き込んで

「なぁ、虹パパ。東京ってこんなにちっちゃいんだぜ。見てみろよ、俺たちが毎日飛び込んでいるビルだってあんなに小さい。人間なんてもっと小さい。」

先輩が言わんとしていることはよくわかった。
この先輩も元々新聞記者志望で就職に失敗し、泣く泣く商品先物取引の営業職へ。
私より一つ上の先輩だった。
コント赤信号の小宮みたいな顔をして
小柄で決してカッコイイとは言えない先輩だったけど(さっきのセリフも草、笑)
夜遅くまでロールプレイに付き合ってくれたり
ご飯ご馳走してくれたり
ダメな私を一生懸命励ましてくれた。

先輩には辞めると決めたことを話した。

「そうか。」

とわかってくれた。それでも優しかった。本当にイイ先輩だった。迷惑ばかりかけてごめんなさい。こんなにダメダメだった私に優しくしてくれて本当にありがとうございました。

上司にも「辞める」と伝えた。12月のことだった。

「そうか、虹パパ。じゃあ年末カンボジアに行くぞ!金貯めておけよ!」

「はぁ??意味わかんないんですけど??」(私の心の声)

つづく。


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