の続き。
「内在神」という自分の中の神様という存在への旅を始めてから、どうしても
・先祖供養
をちゃんとしたい、という強い気持ちになっていった。
子どもの頃からお墓参りなどする習慣はなかった。
中学生の頃から父方の祖父母と2世帯で住んでいが、神棚はあるけれど仏壇のない家だった。
そのためか、私には「ご先祖さまを供養する習慣」というものが全くなかった。
一方、妻の家はお彼岸とお盆には必ずお墓参りをし、親戚一同集まり食事をして帰る、という行事が当たり前の家だった。結婚してからその行事に同席することになったのだが、私には結構衝撃だった。
特に妻の母方の実家、山口県の田舎にお盆で遊びに行くと、高齢のおばあちゃんと一緒に裏山へ登って10個くらいの墓石(小さな普通の石)にお線香をあげに行く習慣があった。
なんとなくこういう習慣っていいなぁ、私はこんな大切な習慣を知らずにずっと生きてきたんだなぁ、と感じた。
・お墓参り
を当たり前のようにやってきた妻だから、家で先祖供養をすることにも抵抗はないんじゃないか?と勝手に思い込み、私は短冊にお線香を立てて先祖供養を始めた。
すると、妻は「線香臭いからやめてよ」と言ったので、線香は使わずに熱いお茶を供えて先祖供養を続けた。
しかしそれも、昔変なスピリチュアルにハマった経験を知っているからだろう、妻は私が先祖供養をすること自体を嫌がった。
しかし、私を「外の神様に頼る」ヘンテコスピリチュアルから、「自分の中に在る神様を信じる」真の精神世界への旅へと誘ってくれた本を読み始めていたので、
どうしても「線香を使って先祖供養」をしたかった。
だから、こっそりと
・妻がいないときに先祖供養をする
ということを何度かやっていたら、線香の匂いでそれがバレ、妻の逆鱗に触れてしまった・・・・
今はもう先祖供養という「形」を家で行うことができないのがわかったので、
・しっかりと仕事をする姿を見せることでご先祖さまたちに安心してもらう
・食事の前に、「ご先祖の皆様〜一緒にいただきましょう」と思って「いただきます」を言う
・難を逃れたり、いいことがあったときには「ご先祖さま〜ありがとうございます」と思ったり
・ことあるごとに、「ご先祖さま〜ありがとうございます」って思う
ことで先祖供養をさせてもらっている気になっています。
これなら妻にはバレない、笑
心は自由。
暗黒時代から光の世界へと歩みを進めてこれたのは
「先祖供養」の気持ちを持てたことが大きい。
1番近い「先祖」である「両親」へは感謝を実際に行える。
これができると「気持ちが良い」。
その両親の先の先の先の先のずーっと先まで遡って、どのご先祖さまが欠けていても私は存在しなかったわけだから、どのご先祖さまにも感謝せずにはいられない。
なんとなくだけれども
ご先祖さまの存在を感じる
いつも見守ってくれているんだ。
安心感。
ありがとうございます。
今日も「防災意識」と「大地への感謝」を忘れずにお仕事頑張ります。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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