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救い主に関するイザヤの予言ーほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)4

2019-07-12 00:59:50 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆4、救い主に関するイザヤの予言

① イザヤがうたった予言、「みよ、おとめがみごもり、ひとりの子を生み、それを、エンマヌエルとよぶだろう」(イザヤの書 7:14)。

②「不思議にみちたマリアにやどって、この世にめばえ、世界を照らすお方は、賛美されますように!」(第6篇のおりかえし)。

第1考察 直接、救い主に関するイザヤの予言

 聖エフレムは、聖母に対する第6の賛歌のなかで、「ひとりのおとめがみごもり、子を生むだろう」という、予言者イザヤの有名な予言をテーマにしています。この予言は、マリアの終生処女の大特権をあらわしているから、マリアのこの大特権をいなもうとしたすべての人は、この予言の意味をも、自分なりにまげようと努力しつづけたのです。

 このことばは、不敬なアカツ王に向けられたので、このことばにふくまれている予言も、ただアカツのひとりの子が生まれること、つまりエゼキア王のことしかいっていない、とかれらはいっています。しかし、この予言の、荘厳な口調と、生まれ出る子の象徴的な名前とは、エゼキア王の誕生以上のもの、つまり、メシア(救い主)の決定的な国についての、神の干渉を、語っているといわねばなりません。

 すなわち、エンマヌエルの予言は、エゼキア王をこえたものであります。直接、救い主イエズス・キリストに関する予言であります。

 マタイによる聖福音書では、この予言の実現が強調されています。イエズスの誕生を伝えてのち、聖マタイは神の霊にいぶかれて、つぎのように書きました。

「これらのことは、予言者によって主がおおせられたみことばを実現するために起ったのである、"おとめがみごもって、子を生むであろう。その名はエンマヌエルと呼ばれるであろう"。その名は、"神はわたしたちとともにおいでになる"という意味である」(マタイ1:23)。

予言者イザヤが、すぐあとで、エンマヌエルについて書いているほかのことばも、イエズス・キリストによって実現したと、マタイはのべています。

 イエズスがナザレトを去って、ザブロンとネフタリムとの境にあたる海べの地、カファルナウムに来てお住みになったことをのべてのち、聖マタイは、つぎのように加えます、「こうして、予言者イザヤのことばは実現した」と書き、エンマヌエルに関する予言のあるところを引用して書きます、

「ザブロンの地、ネフタリムの地、海べの道、ヨルダンのかなた〔の国〕、異邦人のガリラヤ、やみのなかに座る民は、大なる光をみ、死のくらい地に住む人々の上に、光はのぼった」(マタイ4:12-15)。このことばはイザヤ(8:23と9:1)からの引用であり、キリスト誕生の、ひそかなおつげがあるとみることにおいて、一致しています。




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旧約時代の前じるしーほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)3-3

2019-07-11 01:11:52 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆3-3、旧約時代の前じるし

第3考察 イザアクのいけにえにおけるマリアの前じるし

 つぎのところで、聖エフレムは、イザアクのいけにえのことを思いだしています。主のみ使いによって手をとめられたアブラハムは、「目をあげると、角を〔かたわらの〕やぶにひっかけた一匹の牡ひつじがいるのをみたので、それを捕え、わが子のかわりにいけにえとしてささげた」と、創世の書(22:13)に書いてあります。

 聖エフレムは、聖書のシリア語訳を利用していて、"やぶ"のかわりに"木"とよんでいました。かれの解釈では、イザアクが、いけにえのまきを、かついでいたからその山に木がなかったしるしでしたが、山が木を生みだし、木がいけにえの小ひつじを生みだしたことになっています。この解釈にもとずいて、聖エフレムは、つぎのようにうたいます。

⑦ 木が小ひつじを生みだして、男の助けなしに清いおとめが子をみごもったのは、さきの時代にも、あとの時代にも、ほかに一度も、決してありませんでした。
木は、マリアを示しています。
あの小ひつじが木の枝にからんでいたように、わたしたちの主も、ゴルゴタ〔の十字架の木〕に、つけられました。
そして、あのときの小ひつじが、イザアクのいのちを助けたように。〔神の小ひつじである〕みあるじも、すべての人を救われたのです。

⑧ この世におくだりになっても〔みあるじは〕、〔天の〕玉座を、おすてにならず、マリアにやどるようになったそのときも、天は、神に、みちみちていました。
〔ペトロの〕舟に〔よこたわり、つかれて〕やすんだあのときも、風をしかって従わせたのは、ほかではなく、この方でした。
〔おん母にたのまれ〕水をぶどう酒に、変化なさったときでさえ、〔神の永遠の〕みことばは、そのからだから、はなれていませんでした。
むしろ、〔目でみえる〕これらのものすべてによって、あらわしておられたのです、〔目でみえない〕ご自分の神性を。

祈り 「あわれみ深い神よ、わたしたちの弱さをお助けください。神のとおといおん母を記念するわたしたちを、このおん取りつぎによって、罪から立ちあがらせてください。アーメン」(典礼から)。

決心 マリアの賛歌の意味をよく悟るようにつとめて、信仰深くうたいましょう。




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ほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)3-2

2019-07-10 02:51:34 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆3-2、旧約時代の前じるし

箒2考察 旧約時代の前じるし

 つぎに、聖エフレムは、ふたたび、"さぐり人"をとがめてから、旧約時代の、いろいろの前じるしをもってマリアの終生処女性を説明します。

④ この清いおとめは、胸をふくらませ、聖なる処女は、みごもりました。

光栄あるおん母が、おん子を生み、乳をあたえて、世の母のなすすべてのわざをするときに、だれか感嘆しないものが、あるでしょうか? このおん母に〔世の母の、ふつうの法則をあてはめて〕、さぐろうとするえせ学者よ、はじを知れ。あなたがかたくなに、悟りえないのだから、処女性を保ったままで、自分をつくったみあるじの母となった、あのことを。

⑤ おお、おとめよ、あなたの処女性のしるしは、〔旧約時代の、あの〕聖ひつのなかに安置されました。
予言者たちは、こぞってあなたの光栄に、かがやく姿を、えがきだし、〔のちの世につたえる〕聖書のまきものに、おさめています、知恵ある人が、それを読んでさとるようにと。〔なかでも、聖ひつのために〕新しくつくられた、〔マンナをいれた〕あの器は、あなたのことをあらわす予言なのです。〔マリアよ〕あなたのおん子は、〔いのちの〕泉に味をつけたまことの塩で、すでに死んでいたこの世はすべて、この泉にこそ、いのちをくみます。

⑥ 聖ひつのなかにおさめられた〔アアロンの〕あの杖も、あなたの前じるしとなっています。
植えられずして、めばえたこの杖は、あなたの母性をたたえる、しるしなのです。
そうです、水をそそがれないで、あの杖は、みごとな冠の葉を、しげらせて、かのおとめの不思議をさとらせる、一つのしるしとなりました。すなわち、マリアは、くすしきあの実をみのらせて、わたしたちに、おあたえになったのです。このように、レヴィ人の〔杖となった、アアロンの〕この杖は、マリアを語るあきらかな、煎じるしでした。

ほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)3

2019-07-09 00:51:33 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆3、旧約時代の前じるし

① 「ああ感嘆すべきまじわりよ!人類のつくり主は、霊あるからだを取って、おとめ〔マリア〕からお生まれになりました。男の助けなしに人となり、わたしたちをその神性にあずからせたのです」(典礼から)

② 「みめぐみによって.あなたを選び、あなたから生まれて世を照らされたお方は、賛美されますように」(第5篇のおりかえし)。

第1考察  終生おとめなるおん母の賛美

 初代教会をなやました異端者のなかで、グノシス派をなのるものがいました。かれらは、信仰の奥義をも、人間の知識ーグノシスーだけでさぐろうとし、人間の知織で何でも説明しようとしていました。そして、人間の知識だけで説明できないものを、否定していました。かれらがこうして、マリアの終生処女性の特権までも、いなんでいたので、聖エフレムは、かれらのことを"さぐり人"と"えせ学者"とよんで、はげしく非難しました。

 聖エフレムのことばをよみましょう。

〔第5編〕 

① ひとりのおとめが、おとめのまま、子を生む話しをきいても、えせ学者と、さぐり人とは信じません。

 そして、このことが、自然の法則によれば、どうしてもありえないと、悟っているからです。でも、マリアの場合、大自然はのりこえられ、完全にうちまかされてしまいました。じじつ、マリアは、みごもってもおとめであり、処女性をうしなわないそのままで、おん子を、この世に生みました。これほどのできごとを、どうして、大自然の法則だけで、説明しつくすことが、できるでしょうか?

② おん子が生まれ出たのは、人間の〔ほんとうの〕子どもと同じだったのに、おん母は、神の不思議につつまれて、もとの処女性をそこなわず、保っていました。そのままに。ご胎内の実を生みだしてからも、実をやどじたその胎は、封じられたままに残ったのです。それで、おん子のご誕生は、奇跡的な誕生で、まったく新しい方法により、おとめは、おん子を生んだのでした。

でも、ふつうのおとめのばあいは、自然の法則に結ばれて、決してマリアのようには、できません。

③ この聖なるおとめこそ、わたしは賛美をうたいたい、みめぐみによって、すべての人の、みあるじの母となった、このおとめを。すべてきよく、マリアはみごもり、おん子を生んで、ご胎の実を、世にあらわしたそのときも、人の助けを、つゆほども、なにも必要とは、しませんでした。これほどの大きな不思議が〔マリアの場合に〕おこなわれたのです。

〔こうして〕マリアは、あの感嘆すべきお方を生みましたが、それは、さぐりえない、神のみわざでありました。そうです、こればかりは、いくら、えせ学者がさぐろうとしても、きわめえない奇跡なのです。




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ほめたたえよう 清いおとめ マリアを(聖エフレム)2-3

2019-07-08 02:05:54 | 聖母讃歌
『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編

◆2-3、マリアの偉大さの泉

第3考察 エゼキエルの予言

 つぎに、聖エフレムは、エゼキエルの予言を引用してそれは、マリアに実現したといっています。

「それから、かれは、東にむかっている神殿の外の門に、ふたたび、わたしをつれていった。その門は閉じていた。かれは、わたしに、こう説明した、「この門は、閉じていなければならない。開くことはない。だれも、ここを通ってはならない。閉じたままにしておく。ここは、イスラエルの神、主がはいられたところだからである」(エゼキエルの書44:1-2)。

 エゼキエルがみた象徴的な神殿の、この閉じた門は、昔から、マリアの終生処女性の象徴として解釈されてきたのです。

 聖エフレムは、うたっています。

⑨ さすらいのとき、エゼキエルは、予言者のまなこにうつったダヴィドのむすめ、アリアをみて、神のいぶきをうけた示しのなかに、偉大なおとめの姿を、あきらかに、えがきだしておりました。

⑩ カルデアの国にながされた予言者は、こうしてマリアの姿を、うつしだし、予言者たちのまきものに、おさめ、聖書に、記述をのこし、保存しました。のちの世の、よむ人々が、なるほどと、偉大な奥義を、さとるようにと。

⑪ 神のやかたのとざされた門を、みせてから、主は、予言者にむかって、おおせられた、

「この門は、閉じたままに、しておく。ここは、主がはいられたところだからである」と。


祈り 「全能永遠の神よ、あなたは、光栄あるおとめおん母マリアの身と霊を、聖霊の協力によってととのえ、おん子にふさわしい住いとされまし加おん母を記念してよろこぶわたしたちを、せまっている災難と、永遠の死から、そのねんごろな取りつぎによって、お救いください」(典礼)。

決心 マリアのみことばをくりかえしましょう、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの精神は、救い主である神によって、よろこびおどっています」。



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