『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編
◆4、救い主に関するイザヤの予言
① イザヤがうたった予言、「みよ、おとめがみごもり、ひとりの子を生み、それを、エンマヌエルとよぶだろう」(イザヤの書 7:14)。
②「不思議にみちたマリアにやどって、この世にめばえ、世界を照らすお方は、賛美されますように!」(第6篇のおりかえし)。
第1考察 直接、救い主に関するイザヤの予言
聖エフレムは、聖母に対する第6の賛歌のなかで、「ひとりのおとめがみごもり、子を生むだろう」という、予言者イザヤの有名な予言をテーマにしています。この予言は、マリアの終生処女の大特権をあらわしているから、マリアのこの大特権をいなもうとしたすべての人は、この予言の意味をも、自分なりにまげようと努力しつづけたのです。
このことばは、不敬なアカツ王に向けられたので、このことばにふくまれている予言も、ただアカツのひとりの子が生まれること、つまりエゼキア王のことしかいっていない、とかれらはいっています。しかし、この予言の、荘厳な口調と、生まれ出る子の象徴的な名前とは、エゼキア王の誕生以上のもの、つまり、メシア(救い主)の決定的な国についての、神の干渉を、語っているといわねばなりません。
すなわち、エンマヌエルの予言は、エゼキア王をこえたものであります。直接、救い主イエズス・キリストに関する予言であります。
マタイによる聖福音書では、この予言の実現が強調されています。イエズスの誕生を伝えてのち、聖マタイは神の霊にいぶかれて、つぎのように書きました。
「これらのことは、予言者によって主がおおせられたみことばを実現するために起ったのである、"おとめがみごもって、子を生むであろう。その名はエンマヌエルと呼ばれるであろう"。その名は、"神はわたしたちとともにおいでになる"という意味である」(マタイ1:23)。
予言者イザヤが、すぐあとで、エンマヌエルについて書いているほかのことばも、イエズス・キリストによって実現したと、マタイはのべています。
イエズスがナザレトを去って、ザブロンとネフタリムとの境にあたる海べの地、カファルナウムに来てお住みになったことをのべてのち、聖マタイは、つぎのように加えます、「こうして、予言者イザヤのことばは実現した」と書き、エンマヌエルに関する予言のあるところを引用して書きます、
「ザブロンの地、ネフタリムの地、海べの道、ヨルダンのかなた〔の国〕、異邦人のガリラヤ、やみのなかに座る民は、大なる光をみ、死のくらい地に住む人々の上に、光はのぼった」(マタイ4:12-15)。このことばはイザヤ(8:23と9:1)からの引用であり、キリスト誕生の、ひそかなおつげがあるとみることにおいて、一致しています。
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◆4、救い主に関するイザヤの予言
① イザヤがうたった予言、「みよ、おとめがみごもり、ひとりの子を生み、それを、エンマヌエルとよぶだろう」(イザヤの書 7:14)。
②「不思議にみちたマリアにやどって、この世にめばえ、世界を照らすお方は、賛美されますように!」(第6篇のおりかえし)。
第1考察 直接、救い主に関するイザヤの予言
聖エフレムは、聖母に対する第6の賛歌のなかで、「ひとりのおとめがみごもり、子を生むだろう」という、予言者イザヤの有名な予言をテーマにしています。この予言は、マリアの終生処女の大特権をあらわしているから、マリアのこの大特権をいなもうとしたすべての人は、この予言の意味をも、自分なりにまげようと努力しつづけたのです。
このことばは、不敬なアカツ王に向けられたので、このことばにふくまれている予言も、ただアカツのひとりの子が生まれること、つまりエゼキア王のことしかいっていない、とかれらはいっています。しかし、この予言の、荘厳な口調と、生まれ出る子の象徴的な名前とは、エゼキア王の誕生以上のもの、つまり、メシア(救い主)の決定的な国についての、神の干渉を、語っているといわねばなりません。
すなわち、エンマヌエルの予言は、エゼキア王をこえたものであります。直接、救い主イエズス・キリストに関する予言であります。
マタイによる聖福音書では、この予言の実現が強調されています。イエズスの誕生を伝えてのち、聖マタイは神の霊にいぶかれて、つぎのように書きました。
「これらのことは、予言者によって主がおおせられたみことばを実現するために起ったのである、"おとめがみごもって、子を生むであろう。その名はエンマヌエルと呼ばれるであろう"。その名は、"神はわたしたちとともにおいでになる"という意味である」(マタイ1:23)。
予言者イザヤが、すぐあとで、エンマヌエルについて書いているほかのことばも、イエズス・キリストによって実現したと、マタイはのべています。
イエズスがナザレトを去って、ザブロンとネフタリムとの境にあたる海べの地、カファルナウムに来てお住みになったことをのべてのち、聖マタイは、つぎのように加えます、「こうして、予言者イザヤのことばは実現した」と書き、エンマヌエルに関する予言のあるところを引用して書きます、
「ザブロンの地、ネフタリムの地、海べの道、ヨルダンのかなた〔の国〕、異邦人のガリラヤ、やみのなかに座る民は、大なる光をみ、死のくらい地に住む人々の上に、光はのぼった」(マタイ4:12-15)。このことばはイザヤ(8:23と9:1)からの引用であり、キリスト誕生の、ひそかなおつげがあるとみることにおいて、一致しています。
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