カトリック情報 Catholics in Japan

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愛は目的、他は手段 聖エーディト・シュタイン

2025-01-11 05:23:53 | 格言・みことば
同胞との関係において、隣人の霊的な必要性は、あらゆる掟を超越しています。私たちが行う他のすべてのことは、目的のための手段です。しかし、神は愛なのですから、愛はすでに目的なのです。

聖エーディト・シュタイン


いと高き所には、神に栄光、地には善意の人々に平和

2024-12-24 23:15:13 | 格言・みことば
「恐れることはない。全ての人々の為に大きな喜びの知らせを告げる。今日、ダビドの町で、あなた達の為に救い主が生まれ給うた、すなわち主キリストである。あなた達は、布に包まれてまぐさおけに寝ているみどり児を見るだろう。それがしるしである。」すると、たちまち天の軍勢の大群が天使に加わり、「いと高き所には、神に栄光、地には善意の人々に平和」と神を賛美した。

ルカによる福音書 2章10-14節

主のご降誕 聖ボナヴェントゥラ 『生命の木』

2024-12-24 23:14:31 | 格言・みことば
 ローマ皇帝アウグストゥスの治下、世界的平和のしずかな休息が、それまで混乱していた時代を晴れやかにしたとき、そしてまた、この君主が全世界の人口調査を命じたとき、神の摂理の配慮によって、「処女」の夫ヨセフは、やがて母になろうとしていた王族出の若い妻を、ベトレヘムの町に案内した。

 すると、受胎後九か月のとき、「平和の王」が生まれた。かれは、快楽とはなんのかかわりもなく宿されたのであったが、その母にはなんの変化も与えないで、「浄配が婚姻の室から出る」ように、処女の胎外に進み出たのであった。

 かれは、強く富んでいたにもかかわらず、愛によって、小さく貧しくなって、わたしたちのもとに来ること、自分の家にではなくはたご屋で生まれること、みすぼらしいむつきに包まれること、処女の乳でやしなわれること、牡牛とろばのあいだで、まぐさおけのなかに生まれることを選んだ。

 そのとき、わたしたちのために、新しい贖罪の日、古い日の償いの日、永遠の福楽の日が明けた。そのとき、全世界にわたって、天は蜜のように甘くなった。

聖ボナヴェントゥラ 『生命の木』