カトリック情報 Catholics in Japan

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聖ヨセフィーナ・バキタ 

2025-02-08 00:00:07 | 聖人伝
聖ヨセフィーナ・バキタ           記念日 2月8日


 バキタは1869年ころ、アフリカのスーダン西部、ダルフール地方のアジレレ山の近くにに生まれた。7歳くらいの時に奴隷商人にさらわれ、その後、奴隷としての人生を歩むこととなる。奴隷の印である刺青を身体中に施され、何度も人から人へ売られた。刺青はカミソリで切れ目をつけそこに墨を入れ、傷口を広げておくために塩をすりこんでおくという過酷なものであった。
 そして彼女はイタリアに渡った後に自由になるとベネチアでカノッサ会のシスター達にと出会い、そこで洗礼を受けキリストと出会うこととなる。
 自分の意志でシスターへの道を選び、カノッサ修道受会のシスターとなり、イタリア北部のビエチェンツァに近い町スキオで50年の長きにわたって人々から愛されるシスターとして働き、また自分に危害を加えてきた全ての人を許して、1946年帰天する。
 彼女は、まさに1900年代という我々と同じ時代を生きた聖人である。



「おお、バキタ!!
あなたは輝く光。大きな慰めの天使となってください。
こうした恵まれない無数の子供達の上に自由と正義、
平和と愛があるように祈ってください。

まだ世界には奴隷にされている人が無数にいます
私達を皆縛り付ける罪と、最も思い悪の、恐ろしい鎖に
がんじがらめに縛られている、罪の奴隷の数は無限に近いでしょう。

シスター・バキタ!
お願いです!私達を苦しみから解放してください。
そしてさらに、罪からの解放をお願いします。そして
虐げられている人に自由を!
みんなのシスターであるあなたに、愛とゆるしを
お願いします。」
  
 「聖バキタへの祈り」より









聖ヒエロニモ・エミリアニ 

2025-02-08 00:00:07 | 聖人伝
聖ヒエロニモ・エミリアニ             記念日 2月8日



 孤児や捨て子の守護の聖人のヒエロニモ・エミリアニは、1486年ヴェニスの貴族の子として生まれた彼は15歳の時、軍隊に入った。そして25歳にしてカステル・ヌオヴォの砦の主となったそれはちょうどヴェニスとフランスの戦争の時で、敵軍の激しい攻撃に持ちこたえられず、砦は占領され、彼も地下の牢獄で鉄の鎖につながれて囚われの身となる。
 不運な牢獄の生活は、ひどい屈辱的な日々で、遂に彼も悩みのあまりに反省せざるを得なかった。「もし神の恵みで自由が与えられるなら、これまでの悪い生活から、きっぱりと足を洗おう」と、心にかたく誓い、聖母マリアに祈りを捧げたのであった。

 こうしたある日、それは7月26日であったが、まったくありえないことが彼の身の上に起こった。彼はぜんぜんその姿を見られないで、堂々と敵の真ん中を通りぬけて、外に出たのだ。その足は、まっすぐトレヴィゾ市の聖母巡礼聖堂に向かい鉄鎖を壁にかけて感謝した。どれほど熱心な感謝の祈りが捧げられたかは、その後の生活によくあらわれている。

 彼は再び取り戻した砦に帰り、まもなくヴェニスに呼ばれて、政治的な任務についたが、彼の心は別にあった「この命は、神のものだ、私はもっと、もっと献身できる生活をしたい」と考える彼に、決定的な時期が訪れた。

 1528年、この地方に大飢饉が襲い、町々に孤児があふれると余生を神に捧げ司祭となった彼は、病気と飢えに苦しんでいた子供達をさっそく家に引き取って世話をした。丈夫で働ける浮浪者には職を見つけ幼い孤児達を集めて衣食を与え教理を教えて信仰に導いた。
 しかし飢饉は、重大な後遺症を残し、ペストの大流行にみまわれた。彼自身も感染したが、奇跡的な治癒を受けると全財産をなげうって、イタリアの数カ所に孤児院を設立し社会事業を起こした。

 こうして彼は、後に協力者達と、ソマスコの小さな町に、慈善事業を、その目的とした新しい修道会、貧者のしもべ会(ソマスコ会)を創立た。なおヴェロナ市にも病院を建てて病人の為に尽くした。

 そして、二度目のペストが襲ってきた1537年、患者の看護で自分も再び感染をうけ、会員にみとられながら愛の殉教者として天の光栄に召された。2月8日のことである。