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カトリック情報 Catholics in Japan

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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 12

2018-09-24 00:53:05 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、12

「けんかだ!けんかだ!」と叫ぶ声!

 急にあたりが、さわがしくなってきました。ボンザニーノ先生の貴族の生徒たちがけんかです。

 ひとりが、もうひとりに失礼なことばを使ったのが、ことのはじまりでした。たがいに、激しいことばがエスカレートしていきます。ついにひとりが相手の家族をぶじょくしたとき。怒りが爆発しました。もはや問題の解決には決闘しかありません。それは、当時の貴族のやり方でしたから、これに倣うことにしました。刀のかわりは石投げ、名誉にかけても、正式にやろうという点だけ意見が一致しました。場所は、市外の草原、ときは、翌日のある時刻。

 噂を聞いてドミニコがかけつけました。でも、あのふたりは、仲介をきくどころか、あらあらしくおしのけていいました。

「ふん、田舎者のくせに、でしゃばるな。貴族の僕らの邪魔はさせんぞ!」」

 これでは、もう手のつけようがありません。

 翌日、定めの時刻が来ました。ふたりとも、介添え役の仲間たちを連れて、あの草原に現れました。石は五個、互いの距離は20歩、審判者もちゃんとその位置につきました。

 その時、息せき切って駆け付けたドミニコが、今まさに石を手に身構えた.ふたりの閲にわって入ります。

「危ない、ドミニコ!のけのけ、どうしても、あのならずものに復讐しなくちゃならないんだ」と決闘者の一人。ああ、どうしよう? ふと、かれの頭を名案がかすめました。ドミニコは、身につけていた十字架を高くかかげてふたりに叫びました。

「どうしてもやるというなら、この十字架に向かって言え、「イエズスは十字架につけた人を許して亡くなられたが、ぼくは、最後まで復しゅうしたい」とな。なぜ黙っているのか?さあ、言え」ふたりをみる目のはげしいこと!ついに決闘者の手から石がおちました。



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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 11

2018-09-23 03:09:30 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、11

 当時のドン・ボスコの学校は、寮みたいになっていて、授業のためには、町の学校に通うことになっていました。途中には、にぎやかな広場があります、きょうも、定期的にやってくるサーカスの音楽が、あたりの空気をうきうきさせながら、ひびいてきます。

 「ねえ、ドミニコくん」と、登校の道すがら仲間が、たまりかねていいました、「ぼくたちも見に行こうや、あれはすごいサーカスだぞ、見なかったら、"みておけばよかった"と、いつまでも、くやしがることになるよ。学校なら1日ぐらい休んだって、らくだいなんかしないから」

 「うん楽しそうだな、だけど」と、ドミニコは、きっぱりといいました.「遊びは、遊び時間だ、今は、学校に能く時間じゃないか。もし行かないなら、なまけることにねる。そんなことをして、神さまも、それから、あんなにぼくらを愛してくれるドン・ボスコも喜ぶと思うかい?」

 ドミニコが通うのは、今で言ったら、中学校、有名なボンザニーノ先生の学校でした。その頃は大きな学校が一つ、先生も一人の学校です。

 ボンザニーノ先生、教え方が上手ということで評判だったので、貴族の子供が大勢、通っています。月謝が高くて庶民向けでなかったけど、オラトリオの子どもたちは別でした。ドン・ボスコの教育をうけた子供たちは、先生が感心するほど行儀がよかったからです。

 一度かれらにまかせられたら、その子は、きまって、みちがえるように変わっていきました。なかでも、ドミニコの感化はすばらしかったのです。


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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 10

2018-09-22 00:47:42 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、10

 すなおにドン・ボスコに従い、けんかが嫌い、勉強に熱中し、天使のように祈るドミニコ・サヴィオ!なんとやさしい少年でしょう!

 でも、もしかして弱いのでは?とんでもありません。信仰となると、かれの勇気は無敵です。必要なときは、自分より大きな友だちを激しく叱ります。

 ある日、何人か仲間が集まって一つの新聞を読んで、おもしろがっていました。

 好奇心にさそわれて近づき、のぞいたとたん、みるみる顔色がかわってきました。かれは、いなずまのような早さで、新聞をひったくって、ひきさき、恐ろしいきびしさでいいました。

「神さまの不思議な業をみて感嘆するためにつくられた目を、よくもこんな汚いものをみるために使ったものだ!」と。

 運動場に一人の紳士が入ってきて、さっきから子どもたちに何か話しています。いつも大勢の人が出入りしているので、気にも留めません。それにしても何を話しているのでしょう?

 突然、紳士の話がおかしくなってきました、「みなさんは、子供の時から、神さまがこの世界をつくったのだと、教え込まれてきましたね。」とかれはいいだしました。「まあ、小さな子供なら、それでいいでしょう。だけど、もう、きみたちくらい大きくなれば、ねえ、分るだろう、頭を便えるんだから、そんなこと子どもだましだよ。神なんかあるものか。宗教も教会も、実にくだらないことさ」と。
 
 でも、かれはこの言葉を終えることができません。仲間をかばうようにして、紳士の前に立ったドミニコが、こういったからです、「さあ、あっちに行こう、この人は、わたしたちから信仰を奪おうとしてるよ!」と。

聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 9

2018-09-21 02:09:24 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、9

 ドミニコはすぐ始めました。りっぱな自分をつくるには、忍耐がいります。よい決心も守るのはむずかしい、それに子どもです。でも、ドミニコは負けません。何か"悪かった"と思うと、すぐドン・ボスコの所に罪の告白に行きました。すると、心はお恵みにみたされ、喜びでいっぱいになりました。

 ドミニコは、新しい仲間がオラトリオに来るたびに、最初の友だちになります。この日も遊び時間なのに、ひとり楽しそうに佇んでいる子どもがいます。

「ねえきみ、どうして遊ばないの?」と近づいたドミニコ。

「だって、ぼくと遊んでくれる人いないもん」。

「じゃ、ぼくがきょうからきみの友だちだ」とドミニコ。

そして、ドン・ボスコから聞いたこの学校の目標を話します。

「聖人になるには、いつも喜んでいて、自分の役目をりっぱに集たし、神さまの友情を失うことから離れればいいんだって」と。

 あの頃は、世の申がみんな貧之でした。食べものも、じゅうぶんなかったので、栄養失調になる人がたくさんいました。 ドン・ボスコの学校も同じです。病気になる生徒がいます。れにまだ今のようによく効く便利な薬もありませんでした。今のわたしたちは、とてもありがたい時代に住んでいます。りっばな設備のととのった病院が、たいていの病気を治してくれます。でも、この頃はそうではないのです。病院に行くといえば、死にに行くような気がしたものです。

 それで、ドン・ボスコ先生は、学校の建物のなかに、気もちのよい病室を生徒のためにつくりました。ここで病気の子供は、体も心も、すばらしい世話をうけるのです。

 ドミニコは、まるで看護婦さんのように、病気のお友だちを世話します。ついでに「ねえきみ、その薬にがいけど、神さまにささげたらすばらしいよ」と、心にまで行き届く看護人です。


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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 8

2018-09-20 00:26:40 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、8

 1854年10月29日、いよいよ入学の日がきました。おかあさんと小さな兄弟たちにお別れしてドミニコは、おとうさんと、ひたすらトリノへの道を歩いていきます。

 オラトリオ -「祈りの場」という名をもったドン・ボスコの学校! その門をくぐったときドミニコは、すぐ分りたいせつました、「ドン・ポスコ先生は、祈りを大切にするなあ!」とそうです、いくら成績のよい子どもでも、祈らないなら神の助けを無視して、いばってしまうのです。

 おとうさんと一歩ドン・ボスコの部屋に入ったとたん、ドミニコは心を奪われてしまいました。なんというやさしさでしょう! 入り口に大きく書かれたラテン語文字をドン・ボスコに助けられて読みました、「わたしに霊魂をください、あとのことは取り去ってもかまいません」と。

 ”ああ、思ったとおりだ。ここはお金でなく、霊魂をもうける所だった!" ドン・ボスコの気もちが分って、ドミニコは、ますます嬉しくなりました。

 ”ああ、素敵な先生!"ドン・ボスコは、たびたび生徒に霊魂の話をします。ある日曜日、今日もドミニコは、お友達に混ざって熱心に耳を澄ませました。ドン・ボスコのやさしい声が聞こえてきます。

「1、神様は、わたしたちみんなに、聖い人になってほしいのです。

2、それは望みさえすれば、たやすいことです。いつも、私たちのそばにおられる神様が恵みで助けてくださいますから。

3、神様のお望みどおりに聖人になる人には、天国のすばらしいごほうびが準備されています」

 大喜びのドミニコは、2-3日あと、いそいそとドン・ボスコの所に行きました。「先生、ぼく、どうしても聖人になりたい。どうすればいいのですか?」

 「簡単です、立派に祈り、熱心に勉強し、よろこんで友達と遊びなさい」と、ドン・ボスコ。なんと簡単な聖徳の道でしょう!