カトリック情報 Catholics in Japan

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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 17

2018-09-29 06:12:51 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、17

 あれから間もなく、ドミニコは、急に元気がなくなりした。熱があります。ドン・ボスコが病室を出たり入ったりしています。

 病人が急に、「ぼく教皇きまの所に行けたらよいのにあ」といいだしました。「なぜ?」とドン・ボスコ。

「知らせたい大切なことがあるのです。ある日、ぼく聖体拝領のあとで感謝していると、広い野原にたくさん人がいるのが見えてきました。それは英国だと知らされした。教皇さまが近づいて来ました、その手には"たいまつ"が輝いていました。それは、信仰の"たいまつ"で、すべてのキリスト信者がこれに照らされて、目にみえる唯一の教会に一致する道をみいだすのだと、教えられましたと、ドミニコ。

 これこそ、ローマ教皇から離れた英国教会がいつか一致の道をみいだすという予言ではありませんか? 一日もこの予言が実現しますように!

 ああ、なんとかして、なおってほしい!と、ドン・ボスコは、えらい医者を呼びました。でも、診療した医者の顔は曇っています。ドン・ボスコをかげに呼びました。

「ドクター、どうです?なおるでしょうか?」、待ちきれずにきくドン・水スコ。

「気の毒ですが、治るみこみはありません。でも、故郷に帰したら、少し命を延ばすことくらいならできるでしょう」

「はい、そうします」といったドン・ボスコの、なんと苦しい声。

聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 16

2018-09-28 03:41:51 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、16

 肌寒い秋の昼下がり、「ごめんください」。ドミニコは、しきりにある家の戸を叩いています。「何か用?」とひとりのおばさん。

「どうもすみませんでした」。ドミニコは、帽子をとて頭をさげ、「あの、この家に病人がいませんか?」。

「ありがたいことに、病人はひとりも」とおばさん。「願いです、もうちょっと探してくださいませんか」

 まあ、なんと不思議な子だろう!おばさんは、大き家のすみからすみまでしらべ、ドアをみんなあけてみました、「ほら坊ちゃん、いないでしょう」。でも最後に天井うらの部屋を開けたとたん、ぷうんと重ぐるしい匂い!

 ひとりひとりの女が顔を土色にして、ベットの上で死のもだえしています。この部屋をかりていた労働者です。だれも気つかなかったのに、どうしてこの子は?

 大変な不思議でしたが、今はすぐ神父さまをよびました。告白と聖体拝領で、病人は心を清め、慰めにみちて天国へ!

 トントン・・・誰かが、しきりにドアを叩いています。

 眠りから呼び戻された耳に今は、はっきり聞こえます。

「急いでください、もう時間がありません。私についてきてください。早く早く」。ただならぬ声の調子にドン・ボスコは、はっとしました。"あれはドミニコだ、何か神の示しを受けたに違いない”。かれは、いそいでスータンをひっかけ、ま夜中の道を少年のあとから走ります。あの小道を回って、この横道に入り、また別の道ヘ・・・やっとのことで、とある家の前に立ちました。ドアを叩くと、すぐひとりの女性が顔を出し、ドン・ボスコを見て、「ああ、よかった!」といいました、「わたしの主人は不幸にも信仰を捨てたまま臨終を迎えました。今は神のゆるしをしきりに願っています。ああ、間にあってよかった、ほんとに神のめぐみです」

 このように、ドミニコは、神から特別な示しをうけていました。

聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 15

2018-09-27 12:14:06 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、15

 今の学校でもお掃除当番がありますね。でも、ドン・ボスコの学校は、家族みたいですから、いろんな仕事があ1ました。

 ある日、ドミニコは、「ウンコラショッ!」と、大きなまき木におのを打ちおろしていました。薪が山のようにできています。「これでいい」かれは汗をぬぐうと、薪をかごきな籠にいっぱいつめて、ドン・ボスコのおかあさんのころに運んでやりました。年とった婦人に骨のおれる仕事をさせたくなかったからです。

「まあ、ドミニコ、こんなにたくさん作ってくれたのね。ありがとう。大変だったでしょう!」と嬉しそうな声。どんなに助かることでしょう。でも、それ以上に、ドミニコのやさしい思いやりが、かの女の心を喜ばせました。

 こんなにドミニコは、おともだちにしていたイエズスさまと、マリアさまに似てきました。愛と、いつくしみとよろこびが!「ドミニコかいない」と、だれかがいいはじめました。

「ミサの時は、たしかにいたのに」。「学校にも来てなかったよ」「昼食のときだって見なかったぞ?」。心配はだんだん大きくなってきました。みんなが、あっちこっちと探しています。

 ”こんなに探しても見当たらないところを見ると"とドン・ボスコは考えました。"もしかして?”かれは、はっとして御聖堂に行きました。ひと目みた時はだれもいません。でもご聖体の祭壇のうしろにまわると、"いた!"いたのです。片手を胸に片手を朗読台に、じっと聖櫃を見ています。

 「ドミニコ」とドン・ボスコ。「………」。答えません。そっと肩を揺さぶりました。「ミサは、もう終わったのですか?」 目が覚めたようににドミニコ。「午後の2時だよ」

 ドン・ボスコは時計を見せました。7時闇もつづいた礼拝のひとときだったのです! 神の与えた特別なお恵みでした。



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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 14

2018-09-26 05:06:32 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、14

 夏休みがおわって、ドン・ボスコの学校に帰ってきました。思いきり飛びまわって遊び、勉強に熱中する学校、神さまをおとうさま、マリアさまをおかあさまと呼び、先生があんなに愛してくれるドン・ボスコ! こんな楽しい生活ってあるでしょうか? ドン・ボスコの生徒がどんどんふえてきました。日曜学校のほうもです。

 みんなで楽しく遊んでから、ビリリリッー・・とベルが賑ります。子どもたちは、遊びをやめ、教理のお勉強にと、聖堂に、香部屋にグループに分れて集まってきます。何人もの神父さまや神学生が教えます。でもまだたりません。ドミニコが村でしたことを知っていたドン・ボスコは、ある日、「ねえ、ドミニコ、きみが村でしたように、この子どもたちにも教えてくれないか?」といおました。

 今ドミニコは熱心な先生です、自分より少し年下の仲間に教理を教えています。

 住み慣れた村を後にして、ドン・ボスコのおかあさんが来ました。食事の準備、お洗濯、つくろいものと、目の回る忙しさが待ち受けていたからです。

 ある日、そのお母さんが言いました。

 「ねえ、ドン・ボスコや、お前は沢山のいい子を持っているけど、ドミニコはまた特別だね」

「ええ、おかあさん、ドミニコの手本はすばらしいですよ」と歓迎して言うドン・ボスコ。

 でも、一方困った子供もいました。ある日、たった一ついかないストーブに大きな子が雪だまを作っては、投げこんで遊んでいるのを、ドミニコがみつけました、「きみ、やめないか、ドン・ボスコ先生がいけないといったろう!

「よけいなロだしするな、これでもくらえ」と相手はドミニコをなぐりとばしました。でも、ドミニコは、ぐっと耐え、「ゆるしてあげる」といいました。



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聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人 13

2018-09-25 02:26:19 | 聖ドミニコ・サヴィオ
『聖ドミニコ・サヴィオ - 小さな巨人』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、13

 夏休みに帰ったドミニコ。待ちわびていた兄弟たちや友だちが、大よろこびです。なにしろ、町に勉強に行った兄ちゃんは、幼い兄弟たちの誇りでしたから。

「ドミニコが話してくれるんだって、何の話かな?行こう行こう」。子どもたちの口から口へと伝わり、夕方になると、かなりの子どもが集まってきました。

 ドミニコが話したのは、教理の説明、ドン・ボスコからきいた聖書物語り、聖人たちの物語りです。ドミニコは、決してたいくつさせません。子どもたちにも説明させたり、それにキャラメルのごほうびまで出すのですから。

 今の子どもなら、「なんだ、キャラメルか」というでしょうが、なにしろ150年も前の、しかも貧之な田舎の子ですから、大変な魅力がありました。ドミニコの、これも工夫の一つだったのです。

 このころ田舎には、学校がありませんでした。それで、子供たちは、日曜ごとに大人のあとについてミサに行ったものの、何のことやらさっぱりです。村の神父様は、あまりにおじいちゃんでした。それに、お百姓さんだった親たちは、どう教えてよいやら見当もつきません。こんなとき、ドミニコはなんとありがたい先生だったことでしょう。まるで村の宣教師みたいです。

 毎日、家の庭に村の子どもたちが集まると、教理の勉強が始まります。

「さあ、わたしのするようにしてごらん」といって、ドミニコは右の手を顔にあて、"父"といい、胸において”子”、左の肩で聖霊のみ名によって〃、その手を右の肩にはこんで”アーメン"といいましたみんながそれにならうと、今度は教理の本を手にとりました、ああ、なんと上手に説明したことでしょう。やさしく、くだいて、どんな小ちゃな子にも分かるように、話しました。


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