カトリック情報 Catholics in Japan

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死者の殆どが地獄に落ちる 聖ジャシンタ・マルト

2024-07-01 01:56:42 | 格言・みことば
ある日、ジャシンタの家でルシアは彼女が何か深く物思いに沈んでいるのを見て聞きました。「ジャシンタ、あなた何を考えているの?」「次の戦争よ。沢山の人が死ぬわよ。そして殆どの人が地獄に行くの。沢山の家が焼け、沢山の神父様も殺されるのよ。いいこと?私は天国に行くわ。このことが全て起こる前、夜、天に光が現れるって、マリア様が仰ってたわよね?あなたも天国に逃げておいでよ」

ファティマの奇跡 1917年 (聖ジャシンタが聖母の私的啓示を見て。戦争とはそれから起きた第二次世界大戦のこと)



日本円はバングラデシュの通貨よりも弱い!

2024-07-01 01:51:50 | 時事
 バングラデシュの通貨のタカよりも日本円は下落しています。





 外国人労働者も日本に来なくなるし、帰国するでしょう。日本は労働力不足で、せっかくの通貨安も輸出の機会に活かせていません。日本の輸出は伸びていますが、前年比で僅か3.7%です。

 ある程度の資産がありながら、敢えて円預金や円中心の資産運用をする方は、今後、より深刻な円安になっても、政府や運のせいにしないようにしましょう。他のアセットに逃げるチャンスは何度もあったのに、敢えて日本円を選んだからです。私も2021年の2月から、既に35回近く、円からの退避を呼び掛けてきました。

 あなたの資産は、あなたの今までの労働の正当な対価です。あなたには、それを守る権利と責任があります。

 多くの人が、既にビットコインにしたり、金銀にしたり、あるいは米ドルにしたり、ドル建ての投資信託にしたり、いろんな形で、日本円クラッシュに備えています。私も、既に3年前から、何十回も警告しました。



聖シメオン・サールス  St. Simeon Salus    

2024-07-01 01:51:39 | 聖人伝
聖シメオン・サールス  St. Simeon Salus            記念日 7月 1日


 シメオンは、29年間シナイの砂漠で苦行の生活を送っていたが、故郷のシリアのエメサへ帰って浮浪者たちの世話をすることを決心した。彼の持論は「真に謙遜になりたければ、屈辱を愛さなければならない」ということであった。それで彼はわざと馬鹿者のように振る舞ったので「サールス」(狂気)というあだ名をつけられた。誰もこういう人を尊敬しなかったが、シメオンが愛した貧しく哀れな人々は、自分たちのようにさげすまれている者として彼を歓迎した。彼が帰天したのは590年頃であった。




 奇人。彼は多くの年月、パレスチナで修道士また隠世修道士として生活した後、自分の生まれた地であるシリアのホムズに行き、民の中の最も惨めで顧みられない者たち、特に売春婦たちの世話をすることに一身を捧げた。社会的に追放された者たちが受けていた軽蔑を共有するために、彼は「狂人」(サールス)というあだ名を付けられるほど奇妙な仕方で振る舞った。もしそれが正確に報告されているとすれば、その行動があまりに風変わりなものになったので、彼が時折、実際に自分の知性を失っていたということは、ありそうなことのように思われる。彼は、ある者たちによって、偽善者のならず者として取り扱われた。しかし、他の者たちは彼を預言者的で聖なる人物と見ていて、最後にはこの意見が優勢となった。

 次の時代では、幾人かの他の苦行者が「キリストのための愚か者」として知られた。彼等は、彼等の非常識な振る舞いと見かけの愚かさによって、意図的に、仲間たちの屈辱と軽蔑を求めた者たちであった。たとえば、彼等は半裸で、あるいは全裸で歩き回った。彼等は、特にロシアにおいては一般的であり、16世紀には一定の社会的影響力を保持し、19世紀にも再び出現した。これらのユーロディヴィ(瘋癲行者)の幾人かは、聖バシリウス(1552年に死去。1580年に列聖、祝祭日は8月2日)のように、ロシア正教会によって列聖された。バジリウスはモスクワの靴職人の徒弟であった。シメオン・サールスと同様に、店から商品から取って、貧困者たちにそれらを与えるのを常としていた。またツァーであった雷帝イワン4世を彼が非難した物語がある。バシリウスは、彼が埋葬されたクレムリンの諸教会の一つに、自分の名を与えている。