聖フーベルト司教 St. Hubertus E. 記念日 11月 3日
中世紀の多数の聖人たちは狩猟を楽しんだが、聖フーベルトもその一人であった。ある日、彼がアルデンヌの森の中を歩いていた時、一頭の鹿が目の前に現れたので、すぐに殺そうとした瞬間、鹿の角の間に十字架が見えてきた。その日は聖金曜日であった。フーベルトがその場で跪くと「もし、キリストに信頼して生活しなければ、地獄に落ちるであろう」という声が聞こえた。この瞬間に彼にとって新しい生活、より偉大な価値ある人生のスタートになった。これはアルデンヌの森での出来事であった。
フーベルトはペピン公爵に仕えていたが、彼の妻は685年に息子を生んでまもなく死去した。その時から彼は今までの職務から退いて、メストリヒトのランベルト司教の許に行って指導を受け、森林の中で隠修士として数年間過ごし、司祭に叙階された。
750年頃、ランベルト司教はペピン公爵の姦淫の罪を厳しく戒めたので、リエージュの村で暗殺され、フーベルトがランベルトのあと継ぎとして選挙されて司教となった。
聖ランベルトが殺されたのはリエージュであったから。フーベルトはその遺骨をメストリヒトのカテドラルからリエージュに移して大聖堂を建て。司教座もこの地に定めた。その結果リエージュは大きな都市となって、今日聖ランベルトは教区の守護者、創立者として崇敬されている。
8世紀には、アルデンヌの森にキリスト教を全く知らない多数の異教徒が集まって偶像を礼拝していたので、フーベルトは彼等を改宗させて、偶像を破壊するように力を尽くした。彼の好んだことは、行列を作って、祈りを誦えながら田畑の収穫物を祝別することであった。
727年5月30日、フーベルトは主の祈りを誦えながら神のもとに召された。