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アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、5

2016-10-31 02:51:46 | 日本キリスト教史
アロイジオ・デルコル神父『十六のかんむり 長崎十六殉教者』、5

 いちおう、おもてむきは、マカオに行くということにしていますが、かれも、宣教師も日本に向けて出発したのです。

 荒波にもまれ、もまれ、一か月もの船旅ののち、いのちからがらたどりついたのは、日本国のアクセキ(悪石)という小さな島です。トカラ群島のなかの島で、最近になって、鹿児島県に合併されました。



 せっかくたどりついても、すぐつかまってしまう恐れがあります。当時の政府がいちばんねらっていたのは、宣教師だったのですから。

 それで宣教師は、スペイン商人の服を着用して、なるべくかくれ場から出ないようにしていました。

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 九州の町や村々に、高札がいくつもかかげられ、みんなが集まって読みはじめました。

 邪教徒を知らせたものには、ほうびとして、大きな金額がやくそくされていました。邪教とは、キリスト教のこと、バテレンは、司祭、ヒルマノは、修道士のことをさします。ころびキリシタンとは一度は、迫害にたえきれないで信仰をすてたものの、改心して、ふたたび信仰を宣言するようになった信者、キリシタンとは、一般キリスト信者のことをいいます。

「もしかしたら?」と、欲ぶかそうな、目のにごった男がつぶやきました

「去年海からやってきたあの男たちが、もしかしたら、キリシタンじゃなかろうか?どうもからだつきが島のものとちがって堂々としている。それにあの高い鼻、威厳ある顔つきが……どうもあやしいぞ。やあ、おれさまにも、金の神がおいでなさった。よし、この機会にうんともうけてやろう!」

 高札のそばから、かれは、長崎の奉行所めざして、いちもくさんにボートを走らせました。もし、だれかに先をこされては、せっかくの金もうけをだいなしにすると思って。

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