私が一番つらい悲しい出来事がありました・・
今から10年前次女の初産里帰りで私は受け入れ態勢を整えて待っていました。
長女も手伝いに来て皆で孫を風呂に入れている間に、妻は長女のかばんをこつそり開けて、財布を手に取っていました。それを娘が注意すると興奮して逆ギレを起こしました。
二日目辺りから妻の感じが如何もおかしくなり、娘に「いつ帰るの?」と何度も聞き始めました?
直ぐにでも帰って欲しい態度です。
娘は怒りと身の危険も感じて翌日自分の家に帰って行きました。
私は娘が頼りにして里帰りしたのに、受け入れてあげられない現状に何て情けない事か?
娘にはすまなく涙が出ました。
この頃から妻は自宅では掃除・料理が出来なくなり、殆ど私がやっていました。
様々な病状の変化に戸惑いはありましたが、元来勝気な性格で気分の良い時期には、私も娘たちも海外旅行に連れて行ったりしておりました。
旅行中にトラブルがあり、娘たちも困っていましたが韓国から帰国後妻の顔がげっそりとやせておりました。
今思えば妻に喜ばすと思い、した事が妻にとって一番苦痛を与えてしまったことでした。
娘たちが会話の中で妻が(ボールペン)の意味が解からず、また度重なる異常行動に心配して、妻が60才の時脳外科の物忘れ外来でSPECT検査とMRI検査・血流検査をしますと、前頭葉の血流が悪く、又海馬も萎縮していると診断されました。
初診時は「左側頭葉の萎縮による意味性認知症」と診断されました。
この6年間家族を巻き込む一番苦痛の時期であった事を今思い出されます。
当時私も生活のこともあり勤務しており、まさか妻が認知症になり、認知症とはどの様な病気なのか皆目わかりませんし、又病気と受け止める気が出来ませんでした。妻も一番苦痛の時期であったと思われます。
次回へつづく
全国若年認知症フォーラムの準備は大変だと思いますが、懇親会から参加しますのでよろしくお願いします。
青森で理事長さんには大変お世話になりました。「会えるのを楽しみにしています」とよろしくお伝えください。