春一番待ち遠しいのは甲子園高校野球です。
昨年と今年は新コロナウイルスの事もあり練習は大変でしたでしょうね。
10年振り13回目の出場との事地元のファンとして喜ばしい事です。
昔昭和30年代頃の高校野球は、札幌では「北海」札商・光星高の三強でした・・
球場は中島公園内にあり良く見に行きました、応援合戦も見ものでした。
当時の監督は飛澤茂夫監督で(昭和3年~昭和42年)の38年間指導し甲子園に良き選手を送り出しました。
甲子園での飛澤監督は全国的に有名人でしたが?中々勝利には導かれませんでした。
準優勝した佐藤投手は私の社宅の長屋に住んでおり、風呂に行くと良い体で手ぬぐいを使い投げ方の練習をしていた記憶があります。
谷木・吉沢・若松等北海出身です。現役には日ハム鍵屋選手がいます。
卒業後室蘭製鉄野球部で活躍しその後プロ野球に入りましたが肩を壊し活躍出来ませんでした。
当時の北海の選手は札幌だけではなく全道から優秀な選手を数名スカウトし寄宿舎に入っていました。
時代の移り変わりと共に中島球場も解体され円山球場に変わりました。
若き思い出の記憶です・・追伸 私の高校野球部は市内でも最下位でした。
学校が終わると一目散に自宅に戻り鞄を放り投げて泳ぎに行きます。
自宅は木造平屋長屋の社宅でで6軒入り中央に石造りの流し台とトイレは共同便所です・・
夜トイレに起きると廊下は暗く気持ちが悪くなります。
2~3人の友達と田んぼのあぜ道を通り、女友達の家の麦畑を通り大川に(豊平川)着きます。
衣服は川岸の枝にかけパンツ一枚で泳ぎます。
午後の日差しはきつく蝉がうるさい程に鳴いています・・
寒い日は川岸の大きな丸い石をお腹に抱えて身体お温めますが気持ちが安らぎます。
友達が多くなると焚火をしますが川岸のトウキビ畑から数本盗み焼いて食べますが広いトウキビ畑ですので苦情はありません。
お腹が空いて帰りますが友達の麦畑から片手で麦の穂をちぎり殻を取って口に入れて噛みます?
何回も噛んでいると白いガムになります・・
今思い出すと裕福ではありませんが自然と遊び毎日がゆったりとしていた感じがします。
新コロナウイルスが一日も早く収まります様に祈っております。
子供の頃は海までは遠く山川で育ちました・・
小学生の頃は学校の裏側が豊平川で校舎には室内プールはありませんでした。
校外学習の時間に先生と生徒は川に行き小さな石拾いをしました。
学校前の道路は砂利道でその横には田んぼが連なっています。小高い丘に神社があります。
校庭には二宮金次郎の銅像がありました。
春になると餓鬼大将が毎年競い合うのが「誰が一番先に大川を泳ぎきるか?」でした・・・
雪が溶けて川は濁流となって力強く流れています・・
白川沿いの高い硬石の崖下付近から上級生と私たち数名が褌ひとつで濁流に飛び込みます、川幅は14~20m位であったと思います。
流れがきつく向う岸まで着くには100~150m位下流に流されます・・命がけの勝負です!!
流される距離は違いますが誰一人溺れる人はおりませんでした。
当時は豊平川につり橋が架かっており、つり橋の上から飛込みもした記憶があります。
子供の頃は豊平川とは呼ばず子供仲間では「大川」と呼んでいました
夏には泳ぎつかれて麦畑を横切り帰途に付きますが腹ペコで今にも倒れそうです・・
川に飛び出た高い岩から飛び込み、白い石を投げて川底から拾ってくる競争もしました。
川育ちですので海を見ると恐怖にかられた記憶があります。
米軍基地が側にありましたので休日には米兵がジープに日本女性を乗せて遊びに来ます・・
その米兵は川に向かって手りゅう弾を投げます・・すると川の魚が浮いてきます。
その様な行為は日常茶飯事に行われていましたが、今の子供たちに話しても信じ無いでしょうね?
北京郊外の大興区と云う地域があります。北京市中心部から遠くバスで40~50分かか.る街はずれです。
先週の金曜日にその地区から新コロナ変異ウイルスの感染者が二人出ました。
大興区区民155万人に対して町は即封鎖しPCR:検査を実施しました・・
驚きは二人の感染者で街は封鎖ですよ!! 日本では考えられません・・
12年前に旅行会社のツアーで妻と北京に行ったとき宿泊したホテルの大興区と云う場所です。
当時その場所は北京から街はずれで、ホテルの周りはスラム街で通りにはゴミが散乱し、夜ホテルの周りには屋台が立ち並び側溝もなく小便の臭い町並みです・・
高級住宅街は入り口には警備人で周りは塀で囲っています。
それ程治安が悪く夜の外出は禁止です・・
朝カメラを持ち散策しましたが、ホテル周辺に朝一が並び野菜類が出ていますが、その野菜はしおれています? 近隣の自己栽培の人々が遠くから歩いてきますので時間がかかり新鮮味が落ちています。
外国人がカメラを持って撮影するのが珍しいのか?集まってきます・・
人々は明るく過ごしているが印象的でした。
日ハムが北海道に来てから一番先にファンクラブに入り、最初のグッツはジャンパーとリュックを今でも持っています。生前の妻と札幌トームに通い応援し楽しんでいました。
印象としてヒルマン監督・新庄選手が記憶にあります・・
その後監督も変わりドラフトでダルビッシュ・大谷選手を獲得し勢いをましました。
昨日北海道日本ハムは今季のチームスローガンとして「イチカラ」を発表しました・・
昨年五位の悔しさを糧として一からチームをつくり上げたいとの思いです。
言いたくはありませんが今更一から栗山監督の元でチームを作り直す等終わっています?
栗山監督はダルビッシュ・大谷選手は自分が育てたかのような錯覚をしています。
両選手はたまたまドラフトで日ハムに来ましたが、何処のチームに行っても野球選手としての素質があり
栄華を極めました・・
日ハム首脳陣・監督ともなすべき事がずれています?
今すべき事は強烈なピッチャー補強と外人打者補強です、金子選手の補強も失敗です?
若手を一から育てなおすには時間がありません? ファンを繫ぎ止めるには勝つ事が一番です。
斎藤・清宮選手の扱いもファンに取ってブーイングが多くあり、監督は優しさは要りません選手から嫌われて名監督です。
新球場も恵庭に移り建設中ですが・・ファンは新球場に集まるか疑問です。
今日は猛吹雪です・・朝体重計に乗りますと、気のせいか体重が1.5位減量しています。
プールに通い3日ですが30分水中歩行はYouTubeを利用して正しい姿勢で行っています。
減量はまず甘い物(三色串団子・かりんとう・ショートケーキ・ジュース)を止めて飲物は牛乳・野菜ジュース・水に変えヨーグルト等に変えて見ました・・・青汁も始めて見ました。
少し口が寂しいのですが我慢のしどころです。
毎晩惰性で飲んでいたお酒も控えめにして外食は止めました。
毎日シャワーで帰りますので、自宅の風呂は殆ど使用しなくなりガス代も安くなります・・
プール利用代金は65才以上6回で732円と安価で一日風呂代を入れて122円です。
コロナ肥満で不用不急の外出を控えて、その代償として減量効果に期待しています。
今日水泳教室は土曜日の事もあり盛況で小さなお子様達12名位指導員のもとで大騒ぎです・・
当然グループは密になっています。
又深いプールでは小学生が教わっています・・
帰りにその子らと脱衣所で一緒になりましたが、10人位の子供たちは密で大声で騒ぎ楽しんでいます。
ロッカーは箱型で狭く又男性の脱衣室なのでお父さんらが子供の面倒を見ていますが注意する親はありません?
一人の若い父親は部屋の隅でかがみ込みスマホを手にゲームをしています・・無関心です。
今コロナウイルスの問題で大騒ぎしている状況なのに、ここでは何の問題も無いかの様に水泳を楽しんでいます。
この様子を見て若い親子さん達はコロナに慣れて来て気を付け出来ません。
この状況が突然に感染すると?
恐ろしい事になると思いました。時間をずらして行くことにします。