mixiというソーシャルネットワークサービス(SNS)がまだメジャーであった大学時代の前半期、ネット上には50の質問バトンなるものや、その類をよく目にした。
回答した人から次の人へバトンが渡され、
バトンを受け取った人は前の人と同じ内容の質問に回答し、
その人もまた次に回答する人を指名する(バトンを渡す人の名を書く)という流れ。
あるときのテーマが、
【あなたの願望に当てはる人を身近な人から選んでください】的なもので、その質問の項目には一題一題、恋人にしたい人、弟にしたい人、上司にしたい人などなどがあるわけです。
それで、当時私が特別な感情を抱いてた人の回答に自分の名前があげられた項目は、
【ペットにしたい人】だった。
そのときの心境は表現ができないのだけれど。悲嘆、なんともいえない、嬉しいのか悲しいのか、バカにされてんのか?
ただ、ああそういうことか。と何かを納得したあのとき。心は冷ややかだった。
歌詞っぽく表現するのであれば、
その人の口付けの意味を私は特別なものと勘違いしていたんですよね。
そして自分はまだ青々しい果実だった。
あの人の奥さんにしたい人はこの人で
恋人にしたい人はこの人で、
ペットにしたい人の私。
まあお遊びの話なんですけど。笑
その日から今も、あの人から掛けられる挨拶のようなキザな言葉に私は、いつもどこか冷静で、ときに煩悩される。
本心など知らないほうが良いこともある。
自分自身の心でさえも。
そう思うのだ。
当時の記憶は薄れつつも、心の片隅に馬鹿みたいに残っいてる。
遊びなんですけれど(再)笑
冷静と情熱の間という本のタイトルがあるが、私の人生の一部にそのようなタイトルをつけるとしたら、それがおそらく1番か2番目に近いエピソードと思う。
そして今、ペットという位置が、なかなか悪くもないかもしれない。と思うのは、私が歳をとったせいかもしれない。