真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『ノモンハン戦争‐モンゴルと満洲国』

2009-07-31 | 読書-歴史
あー難しかった。

『ノモンハン戦争‐モンゴルと満洲国』
岩波新書
田中 克彦【著】
(2009/06/19 出版)
岩波書店

これまでよくあったような、日本側からだけの、の軍事的側面から云々しただけの議論がいかに底の浅いものか、痛感。

松山巖氏書評

本文末尾が強烈:
辻正信―この人は並でない功名心と自己陶酔的な冒険心を満足させるために、せいいっぱい軍隊を利用した。そうして戦争が終わって軍隊がなくなると、日本を利用し、日本を食いものにして生きてきたのである。
(・・・・このような人物は)今もなお日本文化の本質的要素として、政界、経済界のみならず、学界の中にまで巣くっているのである。
(第一〇章  誰がこの戦争を望んだか)
~学会に巣くう辻正信ねえ。

「ノモンハンを書かなかった司馬遼太郎さん」との関係が気になるところだが、あとがきにちゃんと記載してある。
なんでも、岡山の大学に赴任した著者のもとに、使いの人にテープレコーダーを持たせて寄越したので、断ったというのが遭遇のはじめだそうだ。
それ以来わだかまりを引きずっていたらしい。
ふうん、そんなことするんだね。ほんと?

“今だったら、この本を持って晴れ晴れと司馬さんのもとに現れて、これまでの非礼を詫びたうえで、ノモンハンはこんなだったんですよと、ちょっと自慢して話ができたであろうのにと。”
と著者はいう。

爆問FILE020:「コトバから逃げられないワタクシ」2007年12月4日放送

ところで、仕事の関係で何人かのモンゴル人としばらく接したことがある。
全体としては好印象といってよいのだろうが、いろいろユニークではあるな。

なかに、時間の感覚というか、何かの時間は守らないといけないものだという感覚が身についていないヒトが複数いた。
遊牧民というわけでなくて、(一応)英語も話すビジネスマン…ということになっている人たちなんだけど、何だろうねあれは。

このくらいの意識なのかね→ 『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』

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