いわずと知れた宗教の国、インド。
宗教の国、なんていうと、語弊がありますけどね
こっからの話は、高校の頃大好きだった(世界史の)先生の話と、濫読した書籍と、聞きかじった話とが、インドで見てきたものに溶かされて、あたしの中で存分に租借されて出てきた結果なので(笑)、かなり個人的で捻じ曲がった見解かと思われます。
気になることとか、実際違ってるよーってこととか、もしあれば教えてもらえるととても有難いよろしくね
インドの8割はヒンドゥー教。あたしの印象では、かなり自由な宗教。牛は神様の乗り物なので、神聖な動物として扱われ、食することはもちろん、道路でも最優先されます。
・・・まぁこれは表面上、実際は宗教上の理由から牛を殺すことはできない、でも経済的に厳しくてとてもとても飼うことはできない。行き場を失った野良牛がたくさん。そんなふうに思えました。
そして、表面上のこともう一つ。表舞台では、廃止されたといわれているカースト制。これもヒンドゥー教の中に、生活の中に溶け込んでいます。この絶対的差別感はまだまだ色濃くこの国を支配していて、とてもじゃないけどすぐに消せるものではない。そう感じました。
言葉を交わした人たちの、ちょっとした仕草とか表現とか端々で、選民意識を感じてしまいました。
この国の人たちが信仰している宗教は、服装や仕草、住んでいる場所からもわかることがあります。
例えば、スィク教徒はターバンと長い髭、これは髪や髭を切ってはいけないっていう決まりからです。
長い髪は、結わえてターバンの中に入れているそうです。
真っ白い服はジャイナ教徒。不殺生を唱えているため、ベジタリアンです。
ハヌマ教の神様はサルだそうで、火曜日と土曜日には野生のサルに欠かさずお供え(エサ?)をするそう。
車に乗ったときのドライバーさんは、高速道路脇に出てきたおさるさんに、車を止めてエサをやっていました
サルたちの、どこか心得ている雰囲気が、不謹慎ながらちょっと笑えた
彼らの生活の中心は、宗教です。
自分たちよりも偉大なもの、大きな力を信じて、それにあやかろうとします。
これは、“死んでもまた、来世に生まれ変わる”、“何に生まれ変わるかは、今の行い次第”という考え方に基づいたもので、既に神が死んでいる日本では想像しにくいかもしれません。
彼らは、人生は一度きり、期限つきであるという考え方はなく、いかに今を善く生きるか、そして来世は今よりもっと良い暮らしを、そんな考え方に支配されているようです。
いくつもある宗教と、それから引き起こされる根本の相違、複数の神、これによって争いや憎しみ合う心が生まれることもある。己の真理を希求することは、戦争の起爆剤となるんじゃないか。
そんな考えを抱いているあたしは、宗教って何て煩わしく、面倒なものなんだろう、そんなふうに思っていました。
ここに生活する多くの人たちにとって、宗教は人生であり、多くの人々の心を癒し、魂を救い、人が人らしく手を取り合って暮らしていくための、生きる指針となっていました。
自分よりも大きなものの存在を認めること。
海や川、大地の一部であることを実感すること。
“平和とは、尊敬を広げていくことである”
大好きなこの言葉に、通ずるものを感じた旅でもありました。
深いぜ、インド!!!
世界の争いごとの大半は根底に宗教観が絡むのよね{ため息}
世界平和に貢献したいと願う<色:#ff6699>紅花</色>としては、もう一度宗教観を学びたいなー{本}
宗教とか思想とか、語り始めの想いは赤ちゃんみたいに純粋で、みんながわかりやすい形なんだと思うんだけどねー。。
あたしも学びたいー{りんごちゃん}
いろんな想い持ってるヒトと、いっぱい話したいわー{ラブラブ}
やっぱ語れるなー紅花{スマイル}{キラリ}
またゴハンいこー{食事}
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