コロナ対策に限らず、お金・愛情・健康、自分に関わる全てのことに対して共通するのが、この「江戸いろはかるた」の一つ、『知らぬが仏、知るが煩悩』です。
それはネット社会の今だからこそ、なおさら重要なことだと思っています。
なぜなら要らない情報もどんどん勝手に耳目にする機会が増え、正しい情報と誤った情報が一緒に流されているからです。
それを聞いて、すごい良かった!と思う人もいれば、本当かな、じゃあなんで株を高値で売ったんだ?と思う人もいるわけです。
そして私もその一人ですが、筋力検査やダウジングのような方法で、何でも潜在意識の世界に聴いて「自分なりの見解」をもって判断する人もいるわけです。
そして真実はワクチン投与後4~5年後にわかるはずです。
スペイン風邪もおさまるのに3年近くかかったんですから。
この時の日本の感染者は1918年~1920年にかけて、2300万人(当時の人口は5666万人)を超え、死者は45万人にのぼったとされてます。(感染症の世界史 石弘之著)
しかも個人個人の価値観が異なりますから、現代においては「事実も万人に対する正解ではない」のです。
例えば、ワクチンを100人に打って、1人亡くなった事実があったとします。
それを99人は大丈夫なら問題なしと考える人もいれば、1人が死んだんだからダメだと考える人もいて、どちらも正解なのです。
そこをきちんと整理できたうえで、自分で判断・行動できればいいのです。
もちろんその責任の所在は自分自身にあるはずですから、自分以外の考えを否定すること自体、愚かな行動です。
だからこそ、自分の人生、反省しても後悔しないために大事なことは、『正解は一つではないのだから、自分の正解は自分で決める』という心構えです。
他人の意見に流されれば、必ず後で後悔し、その後悔が自分を苦しめます。
だから私は何でも潜在意識の声として筋力検査でダブルチェックしています。
例えそれが間違っていたとしても、それは自分のせいですから、反省はしても、後悔はしませんからね。
それでは知る意味がありません。
知った後で自分の対策がはっきり決まらず「どうしましょう」な状態であれば、それは新たなストレスとなり、自分の心身状態を乱します。
知ったことを自分なりに消化・吸収・代謝できなければ、ストレス=煩悩になってしまいます。
ですから、普段から「備えあれば憂いなし」で、最悪のことを考えてシュミレーションをしておけばいいのです。
ということを考え、調べ、自分でできる対策を取っておければ、たいてい最悪の事態は回避できる、回避できなくても慌てずに対策ができるのです。
感染対策を自分なりにきちんとしていれば、GoToをキャンセルしないで済むし、私のように諦めていた人はこの数日で増加したキャンセルを狙うこともできますよね。
自己責任論は個人的に好きではありませんが、「自分が知っていること、そして自分にできることを、自分のためにしない」のは、成熟した大人の態度ではないとは思います。
一人一人が家族と仕事と地域社会を守るために、まず自分自身を守る、という態度をまず大人から示すことが、日本の今後を変えるためにも一人一人ができる大事なことなんじゃないかなと思ってます。
ここでの「知」とは、ただ知ることではなく、「実験と検証によって得た知識こそが力になる」という意味なんだ、と書かれています。
自分が後悔しないための行動によって得た経験こそが、自分だけの知識になる。
だからこそ、一般論が必ずしも自分にとっての正解ではない、ということです。
自分には「自分の正解」が必要で、それを守るのが自己愛・自己実現であり、誰にでも平等であるべき人権なのかなと思っています。
死ぬほどわかりやすい哲学ブログ 素人哲学者みるまの
哲学って固そうに思えますが、私は好きなんです。
思考回路の整理整頓に役立ちますからね。
それはネット社会の今だからこそ、なおさら重要なことだと思っています。
なぜなら要らない情報もどんどん勝手に耳目にする機会が増え、正しい情報と誤った情報が一緒に流されているからです。
各種ニュースについて
例えば「新型コロナのワクチンの有効率95%」というニュースがありました。それを聞いて、すごい良かった!と思う人もいれば、本当かな、じゃあなんで株を高値で売ったんだ?と思う人もいるわけです。
そして私もその一人ですが、筋力検査やダウジングのような方法で、何でも潜在意識の世界に聴いて「自分なりの見解」をもって判断する人もいるわけです。
そして真実はワクチン投与後4~5年後にわかるはずです。
スペイン風邪もおさまるのに3年近くかかったんですから。
この時の日本の感染者は1918年~1920年にかけて、2300万人(当時の人口は5666万人)を超え、死者は45万人にのぼったとされてます。(感染症の世界史 石弘之著)
しかも個人個人の価値観が異なりますから、現代においては「事実も万人に対する正解ではない」のです。
例えば、ワクチンを100人に打って、1人亡くなった事実があったとします。
それを99人は大丈夫なら問題なしと考える人もいれば、1人が死んだんだからダメだと考える人もいて、どちらも正解なのです。
自分の正解を出す
どちらの考えであっても、自分にとっての正解は自分にしかわかりません。そこをきちんと整理できたうえで、自分で判断・行動できればいいのです。
もちろんその責任の所在は自分自身にあるはずですから、自分以外の考えを否定すること自体、愚かな行動です。
だからこそ、自分の人生、反省しても後悔しないために大事なことは、『正解は一つではないのだから、自分の正解は自分で決める』という心構えです。
他人の意見に流されれば、必ず後で後悔し、その後悔が自分を苦しめます。
だから私は何でも潜在意識の声として筋力検査でダブルチェックしています。
例えそれが間違っていたとしても、それは自分のせいですから、反省はしても、後悔はしませんからね。
消化できない分まで情報を入れない
いろいろなニュースを見て情報を得る=知ることはいいのですが、知った後、自分の感情が乱れたり、行動にぶれが生じては本末転倒なのです。それでは知る意味がありません。
知った後で自分の対策がはっきり決まらず「どうしましょう」な状態であれば、それは新たなストレスとなり、自分の心身状態を乱します。
知ったことを自分なりに消化・吸収・代謝できなければ、ストレス=煩悩になってしまいます。
ですから、普段から「備えあれば憂いなし」で、最悪のことを考えてシュミレーションをしておけばいいのです。
自分でできる対策・自分で決める行動
コロナに自分はかからない、のではなく、- 明日かかったらどうなるか・どうするか
- 明日かからないためにどうするか
ということを考え、調べ、自分でできる対策を取っておければ、たいてい最悪の事態は回避できる、回避できなくても慌てずに対策ができるのです。
感染対策を自分なりにきちんとしていれば、GoToをキャンセルしないで済むし、私のように諦めていた人はこの数日で増加したキャンセルを狙うこともできますよね。
自己責任論は個人的に好きではありませんが、「自分が知っていること、そして自分にできることを、自分のためにしない」のは、成熟した大人の態度ではないとは思います。
一人一人が家族と仕事と地域社会を守るために、まず自分自身を守る、という態度をまず大人から示すことが、日本の今後を変えるためにも一人一人ができる大事なことなんじゃないかなと思ってます。
知は力なり ─フランシス・ベーコン
フランシスコ・ベーコンは「知は力なり」という言葉を残していますが、素人哲学者みるまのさんのブログによると、ここでの「知」とは、ただ知ることではなく、「実験と検証によって得た知識こそが力になる」という意味なんだ、と書かれています。
自分が後悔しないための行動によって得た経験こそが、自分だけの知識になる。
だからこそ、一般論が必ずしも自分にとっての正解ではない、ということです。
自分には「自分の正解」が必要で、それを守るのが自己愛・自己実現であり、誰にでも平等であるべき人権なのかなと思っています。
死ぬほどわかりやすい哲学ブログ 素人哲学者みるまの
哲学って固そうに思えますが、私は好きなんです。
思考回路の整理整頓に役立ちますからね。
P.S,
「備えあれば憂いなし」は、もちろんコロナだけじゃありません。元気なうちにこそ終活を勧めるのも、同じことです。自分の最後までを後悔したくない人で、まだしてないという人は、ぜひ取り組んでみてください。明日自分が死ぬとしたら…、と考えればいいのです。
- 自分が行きたかった・したかった・誰かに言っておきたかったことはあるか
- 家族・仕事において何が困るか、そのために今何をしておくべきか
それらをノートに日付とともに書き出して、毎年見直しして、改定日も書いて、家族にその存在を知らせておけばいいのです。40代のうちにはぜひ済ませておくといいですよ。自分の残り時間はわかりませんが、おしまいが整っていると、そこまでの人生の道のりもぶれずに安定してきますから。
斉藤 記