現在、自身で行っているコンベンションでクリミア戦争を題材として、遊ぶ予定でおります。掲示板を中心に議論されておりますので、ここで少し戦争の経緯を書いてみたいと思います。
18世紀末より衰退するオスマントルコに対して、ロシアは度重なる侵攻を繰り返し、クリミア半島を含む黒海北岸を手中に収めていました。
19世紀に入り、さらに勢力を弱めるオスマントルコに対して、ロシアはバルカン半島の分割と、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡の艦隊の通行権を得ようと目論見ます。
両海峡の通行権を得ることはロシア艦隊の地中海への進出になり、これは不凍港を獲得し、海外進出を図るロシアの悲願でした。しかし、地中海は英国にとって、大植民地インドと本土を繋ぐ生命線であり、そこにロシアが進出することは許されないことでした。
しかし、ロシアはオスマントルコの領土を英国と分割することで了解が得られると考え、オスマントルコへの開戦に踏み切りますが、これはロシアの目測は見誤りで、英国は終始オスマントルコを支援します。
1852年にヘルツェゴヴィナ東部で発生した農民反乱を、同じ正教徒のモンテネグロが支援。これに対して、オスマントルコはボスニア人ムスリムに武器を渡し支援したことで、戦況は泥沼化。この状況に、スラブ人国家であるモンテネグロを支援する為にロシアが介入し、ロシア・オスマントルコ間で和平が模索されます。
ロシアは、これを契機にトルコ解体を目論見、オスマントルコ領内の正教徒の保護を要求します。これはオスマントルコが正教徒を支配することを放棄しろと言う要求にも近いもので、オスマントルコにとっては飲めない要求でした。
その為、両国はバルカン半島・黒海で開戦します。
戦争は、ロシア有利に進み、シノープの海戦でロシアがトルコに一方的な勝利を収めると、遂に英国はフランスと共にトルコと同盟し、ロシアに宣戦布告します。
当初、英国・フランス連合軍は、ブルガリア東部に上陸し、ロシアの拠点オデッサの攻略を目指しますが、オーストリアが介入し国境付近に兵を集めたため、攻撃目標をクリミア半島の要衝・セバストポリへ変更し、ここで1年に及ぶ激戦を繰り広げることになります。
結局、フランスに味方することで、友好関係を築こうとした、サルデーニャ王国の参戦により、セバストポリは陥落しますが、両陣営共に戦争継続することは困難になり、1856年3月30日にオーストリア帝国とプロイセン王国の立会いのもとでパリで講和します。
結局、ロシアは両海峡の通行権を得ないこと、黒海の非武装化に合意せざる得なくなり、この結果内政改革を余儀なくされます。
オリジナルカードゲーム 植民地戦争
18世紀末より衰退するオスマントルコに対して、ロシアは度重なる侵攻を繰り返し、クリミア半島を含む黒海北岸を手中に収めていました。
19世紀に入り、さらに勢力を弱めるオスマントルコに対して、ロシアはバルカン半島の分割と、ダーダネルス海峡とボスポラス海峡の艦隊の通行権を得ようと目論見ます。
両海峡の通行権を得ることはロシア艦隊の地中海への進出になり、これは不凍港を獲得し、海外進出を図るロシアの悲願でした。しかし、地中海は英国にとって、大植民地インドと本土を繋ぐ生命線であり、そこにロシアが進出することは許されないことでした。
しかし、ロシアはオスマントルコの領土を英国と分割することで了解が得られると考え、オスマントルコへの開戦に踏み切りますが、これはロシアの目測は見誤りで、英国は終始オスマントルコを支援します。
1852年にヘルツェゴヴィナ東部で発生した農民反乱を、同じ正教徒のモンテネグロが支援。これに対して、オスマントルコはボスニア人ムスリムに武器を渡し支援したことで、戦況は泥沼化。この状況に、スラブ人国家であるモンテネグロを支援する為にロシアが介入し、ロシア・オスマントルコ間で和平が模索されます。
ロシアは、これを契機にトルコ解体を目論見、オスマントルコ領内の正教徒の保護を要求します。これはオスマントルコが正教徒を支配することを放棄しろと言う要求にも近いもので、オスマントルコにとっては飲めない要求でした。
その為、両国はバルカン半島・黒海で開戦します。
戦争は、ロシア有利に進み、シノープの海戦でロシアがトルコに一方的な勝利を収めると、遂に英国はフランスと共にトルコと同盟し、ロシアに宣戦布告します。
当初、英国・フランス連合軍は、ブルガリア東部に上陸し、ロシアの拠点オデッサの攻略を目指しますが、オーストリアが介入し国境付近に兵を集めたため、攻撃目標をクリミア半島の要衝・セバストポリへ変更し、ここで1年に及ぶ激戦を繰り広げることになります。
結局、フランスに味方することで、友好関係を築こうとした、サルデーニャ王国の参戦により、セバストポリは陥落しますが、両陣営共に戦争継続することは困難になり、1856年3月30日にオーストリア帝国とプロイセン王国の立会いのもとでパリで講和します。
結局、ロシアは両海峡の通行権を得ないこと、黒海の非武装化に合意せざる得なくなり、この結果内政改革を余儀なくされます。
オリジナルカードゲーム 植民地戦争