植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ゲームコンセプト⑦オーストリア

2007年11月15日 19時50分59秒 | ゲームシステム
 次に、基本の宗主国10カ国以外で別途用意している追加の宗主国について紹介します。

オーストリア 【総生産6/6/6】
●1508年にマクシミリアン1世が神聖ローマ帝国皇帝となると、以来ハプスブルグ家は皇帝位の世襲に成功します。その後、カール5世は婚姻により、ブルゴーニュとスペイン、ナポリを得てヨーロッパの大半を支配するに至ります。その後、弟フェルディナント1世がオーストリアを統治しますが、三十年戦争の終結と共に結ばれたヴェストファーレン条約により、神聖ローマ皇帝の地位が弱められます。この戦争でぶつかり合ったオーストリア・ハプスブルク家、フランス・ブルボン家、スウェーデン・ヴァーサ家は何れもヨーロッパの大国で、総生産を等しく6としました。
●オスマン・トルコによる第二次ウィーン包囲を撃退すると勢いに乗り、ハンガリーを奪還し、ハンガリー王位も世襲に成功します。しかし、その後スペイン継承戦争・ポーランド継承戦争でフランスと凌ぎを削り、さらにマリア・テレジアの相続を巡るオーストリア継承戦争では、フランスの支援を受けた新興国プロイセン相手に苦境に陥り、シュレージエンを失ってしまいます。しかしマリア・テレジアの相続は認められ、以後マリア・テレジアとその息子ヨーゼフはオーストリアの強国化に勤めます。この時代もトータル的に考え、フランスと同じく総生産は6としました。
●ナポレオン戦争で敗退し神聖ローマ皇帝位とドイツ諸侯への影響力を失い、オーストリア帝国として再出発せざる得なくなります。しかし、ウィーン会議を取り仕切った宰相メッテルニヒにより、オーストリアは大国としての地位を維持します。その後、プロイセンとの普墺戦争で大敗すると、プロイセンによるドイツ帝国を実現されてしまい、オーストリアはドイツ人国家ではなく他民族国家としてハンガリーの自治を認めるオーストリア・ハンガリー帝国へと生き残りの道を模索することになります。この時代の総生産も当時の五大国に数えられていることから、総生産は6としました。

※常に対抗しあったオーストリアとフランスは、3クォーター通じて総生産は何れも6にしてあります。しかし、フランスが国力2なのに対して、オーストリアは国力1です。ボヘミアやハンガリーを含めれば国力は同じく2ぐらいでしょうが、別の王位として継承していた為、国力に含めず変わりに「婚姻」として、使われていない宗主国カードを1枚を植民地として得ることが出来るようにしました。これによって、史実どおりスペインを得ればオーストリアの国力1にスペインの国力2を加える事が出来、フランスを凌ぐ帝国を築けます。ましてロシアとの婚姻を成功させれば、追加で国力3を得ることが出来るなど、大きく飛躍するチャンスがあります。また、ドイツやイタリアの場合、強国化も行うことが出来るので、それも国力を増やすチャンスとなります。
 しかし、この婚姻で得た宗主国はあくまで植民地扱いですので、租借や割譲をされたり、戦争で奪われたりする対象となりえます。奪った国にも等しく強国化を行うことが出来るのも1つの特徴となっています。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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