植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:凌統

2010年12月29日 22時58分19秒 | ゲームシステム
所属:孫権
年齢:約11歳(200年の時)

 呉シリーズで凌統です。ここら辺の呉の武将を誰を入れようかと思ったのですが、父の凌操は孫権時代に直ぐに亡くなってしまったので、息子の方にしました。

 父 凌操は孫策の挙兵時に部下となり、その後孫権が劉表の夏口を攻撃したとき、黄祖配下だった甘寧の矢を受けて戦死します。凌統はわずか15歳で父の跡を継ぐこととなります。
 その後、呉にとって若武者の登竜門と言うべき、山越の討伐に従軍します。この際、上官が酒の席で好き勝手に振る舞ったことを咎めたことで、上官の怒りをかい、その上官は凌統本人だけでなく父凌操をも侮辱します。これに耐えられなくなった凌統は上官を切りつけ、上官はこの傷が元で死んでしまいます。この件で、凌統は死んで詫びようと山越攻撃で猛攻を仕掛け、大勝利を収めます。その後、凌統は自首しますが、孫権はその功をもって罪を償えるとして許しました。

 その後、208年に再び孫権が夏口攻略に取り掛かるとそれに従軍し、先鋒を務め敵将を斬るという武功を挙げます。同年の赤壁の戦いとその後の荊州南郡攻略にも従軍し活躍します。

 そして、彼のもっともの見せ場なのは215年の合肥の戦いです。この戦いで孫権は、張遼の奇襲により敵に包囲されて絶体絶命のピンチとなります。その際、凌統は部下300人を率いて救出作戦を敢行、孫権を連れて無事に戦場から逃れると、戦場に残された部下を救うため、再び戦場に戻って戦い抜きます。しかし、全身に傷を負って瀕死の状態になります。孫権は凌統を手厚く看護させたので一命を取り留めますが、凌統は部下が全員戻らないことに涙します。孫権は「公績(凌統の字)、死んだ者はもう戻ってこない。だが私には、まだあなたがいる。それで十分だ」と慰めたと言います。

 没年ははっきりしませんが、これ以降の荊州攻略戦や夷陵の戦いなどでの活躍が無いことから、この頃までには死亡していたと考えられ、わずか29歳で没したとも言われています。

 最後に甘寧との因縁です。甘寧は黄祖のところをでて呉軍に参加しますが父の敵でもあります。ある時、呂蒙が部将を集めて宴会を開きますが、そこで凌統が剣舞を舞うことになると、その時甘寧は身の危険を感じたのか、自らも戟をとり舞いだし、一速触発の事態となりますが、そこは呂蒙がその場に割って入り大事には至らなかったと言う事件があります。
 演義では、その後、甘寧が凌統の命を救ったことで、凌統と甘寧は打ち解け親友となると言う話があります。
 

 さて能力ですが統率は名将と言っても良いのですが、大軍の指揮を行っていないなどから統率は3、武力は楽進と互角に渡りあったのがあるぐらいで華々しい一騎打ちの記述が少ないので3、政治は山越の統治を無難にこなした実績から2、知力は特に1にする減点要素が無いので2ぐらい。
コメント
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