植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:王朗

2011年05月28日 17時50分21秒 | ゲームシステム
所属:後漢→曹操
年齢:約38歳(200年の時)

 もう既に量産したので、ここからのカードは今回の基本セットとは別にどこかの機会にと考えている武将です。まだどうなるかは判りませんが…

 まず最初は、魏において鍾繇や華歆と共に内政の重鎮、王朗です。王朗って某SLGではマップによっては君主としても出るのですよね。
 王朗は、最初は徐州刺史の陶謙に仕えその補佐をしています。陶謙は結構良い人材を登用しており、そのうちの1人です。王朗は混乱したときにこそ勤皇の姿勢を示すことを陶謙に説き、そのことが朝廷に認められて王朗は会稽太守に任じられます。会稽での4年間の統治では民をいつくしんだとされます。
 その後、揚州では孫策が弾頭し揚州牧の劉繇を駆逐されると、王朗は孫策の次の標的とされます。それは王朗の人望が劉繇の残党を糾合しうると判断されたためでした。
 戦いに不得手な王朗でしたが、朝廷に任された会稽を捨てて逃げることが出来ず、孫策と一戦しますが軽く撃破され、結局東冶に逃げることになります。その後、配下の虞翻の勧めで、孫策に降伏します。
 降伏を許されると王朗は暫くして朝廷(曹操)に召し出されて、そのまま仕えるようになります。諫議大夫・参司空軍事から、曹丕が魏王になった際には御史大夫になり、曹叡の代に司徒までなっています。
 魏の功臣であり、また孫娘の王元姫が司馬昭に嫁ぎ、晋の初代皇帝となる司馬炎を生んでいる為、史書の評価が過大になっている可能性がありますが、才能と学識はずば抜けているとか、一代の俊傑などと称えられています。

 その能力は、統率・武力は1でしょう。知力は華歆が軍師としての活躍があるので3にしたのですが、王朗はまったく軍師的な活躍は無いです。いくつか遠征を止めるなどの意見をするぐらいです。そう考えると、君主扱いで政治5(過剰な気がしますが…)、知力2に偏らせるのも面白いかも知れません。
 政治力では、陳羣>鍾繇>王朗>華歆と言うところでしょうか…
コメント
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