植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

トルデシリャス条約

2007年10月11日 12時29分48秒 | 国:スペイン・ポルトガル
 ポルトガルとスペインの話をしたので、両国の植民地政策に大きな影響を影響を与えたトルデシリャス条約について書きたいと思います。
 あまりにも有名なこの条約は、ポルトガルとスペインでヨーロッパ以外の世界を二分する範囲を決めたものです。これは、両国間の取り決めだけで無く、後に植民地を広げる英国・フランス・オランダにも植民地を持つことを禁止した排他的条約です。
 排他的に出来たのはローマ法王がポルトガルとスペイン両国が、新大陸での布教活動を行うことを条件に回勅と言う文章でこの条約を承認※1をした為です。これによって当時のヨーロッパ諸国としては、法王の意向には逆らえず※2植民地を持つ事が出来ませんでした。
 また、このことによりポルトガルやスペインが植民地とした国々ではカトリックが広まり、日本に渡来したポルトガル人も南蛮貿易と共に、布教活動を行いキリスタン大名まで出現することになります。

 この状態が本格的に破られるのは、オランダがプロテスタント国家としてローマ法王のくびきを解いてからとなります。これ以降、国教会の英国だけでなく、カトリックのフランスも本格的に海外に進出するようになります。
 特に布教活動を行わないオランダは、キリスト教を禁止した徳川幕府にとって都合の良い貿易国であり、このことから貿易相手はポルトガルからオランダになりました。
【名言】トルデシリャス条約を締結する
 ポルトガルとスペインが同盟を結んだ時。または植民地カードを二分する二大国が同盟を結んだ時。


※1:1481年に法王シクストゥス4世の回勅によって、カナリア諸島以南はポルトガル領と決められ、1493年にはスペイン出身の法王アレクサンデル6世がスペインに便宜を図り、子午線を境界線とし、西側をスペイン領とする回勅を出します。
 これを不満としたポルトガル王ジョアン2世は、直接にスペイン王フェルディナンド2世と交渉して境界線をさらに西側(ブラジル上空)にずらしたトルデシリャス条約を結びます。これを法王が1494年に追認し締結されます。

※2:フランス王フランソワ1世は、新領土から締め出されたことを「アダムの意志とはいったい何か?」と言って嘆きながらも、カナダ沿岸の調査をさせます。これが後にケベック州の植民地と、仏領ルイジアナの礎となります。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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