ゲムマ2018秋の新作 木製オムニバス ボードゲーム「メソポタミアの扉」ですが、各ゲームがメソポタミア地方に興った民族や、各王朝を題材としており、その雰囲気が少しでも伝わればと、当時の歴史背景を説明書に入れてあります。
Web掲載の遊び方や、ボツった遊び方まで含めると、そこに書き込まれた内容だけで、ちゃんとメソポタミアの歴史が追える気がします。
※各画像をクリックするとゲームの内容に飛びます。
※○はボツった遊び方です。
●シュメールの遺丘![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/8b/4b3b38762cd243e83d2d8fc8e339722b_s.jpg)
●ウルクの絵文字(web掲載)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/61/de48e3309c0e5bc8256a8ee080304c11_s.jpg)
●ウルとウルク![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/d2/564300476790eef93dd00295d1a1c45d_s.jpg)
○進撃のアッカド王
●ナンナ神殿(web掲載)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1e/87/e26c4d03c4f8f2a2f5463072326debfa_s.jpg)
○混乱のメソポタミア(仮)
●ヒッタイトの戦車![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/e8/c95e2c4b3db3696c73e2dac93aa53515_s.jpg)
古代バビロニア王国滅亡後、バビロニアではカッシート王朝が興りますが、メソポタミア北部のアッシリアが強大となり、周辺の国々へ侵略し始めます。バビロニアも例外なくアッシリアの支配下となります。
●セミラミスの空中庭園(ゲムマ2018秋 予約特典)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/1d/5e8dc9cd440d0f38e20a4dc6d0280724_s.jpg)
●ネコ2世襲来(web掲載)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/ba/ebd038f8777d731c34f5a6523b242216_s.jpg)
●バビロンの聖塔![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/34/411bffd895906ed44a5921458c61c5f4_s.jpg)
イラン高原に興ったアケメネス朝ペルシアは、メディア、新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを統一します。
●ペルセポリス宮殿![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/7f/e7104bb4af46e459ec4328fb52345cc0_s.jpg)
<メソポタミアの扉ホームページ>
Web掲載の遊び方や、ボツった遊び方まで含めると、そこに書き込まれた内容だけで、ちゃんとメソポタミアの歴史が追える気がします。
※各画像をクリックするとゲームの内容に飛びます。
※○はボツった遊び方です。
●シュメールの遺丘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/8b/4b3b38762cd243e83d2d8fc8e339722b_s.jpg)
シュメール人は、チグリス川とユーフラテス川流域の肥沃な三日月地帯に文明を築きました。
河川はたびたび氾濫し、都市は土砂で埋まり、人々はその都度、都市を再建しました。こうして都市遺跡が丘の様になりました。これを遺丘(テル)と呼びます。
河川はたびたび氾濫し、都市は土砂で埋まり、人々はその都度、都市を再建しました。こうして都市遺跡が丘の様になりました。これを遺丘(テル)と呼びます。
●ウルクの絵文字(web掲載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/61/de48e3309c0e5bc8256a8ee080304c11_s.jpg)
シュメール人が作った最初の都市ウルクで花開いた文化はウルク文化としてメソポタミア各地に伝播しました。中でも600文字に及ぶ絵文字の発明は、後に楔形文字になり、メソポタミアの公用語になっていくのです。
●ウルとウルク
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/d2/564300476790eef93dd00295d1a1c45d_s.jpg)
さらにシュメール人は、チグリス川とユーフラテス川沿いに幾つもの都市国家を作ります。各都市では、神殿が作られ都市の守護神が崇められるようになりました。やがてウル・ウルク・ラガシュといった都市が栄え、覇権を争い始めます。
○進撃のアッカド王
アッカドの王となったサルゴンは、南方シュメール人の都市国家に侵攻しました。その頃シュメールでは、ウンマの王ルガルザゲシが、ラガッシュ、ウルクなど主要都市を支配下に治めていました。ここに両雄の戦いの火ぶたが切って落とされたのでした。
●ナンナ神殿(web掲載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1e/87/e26c4d03c4f8f2a2f5463072326debfa_s.jpg)
アッカド帝国崩壊後、ウルの軍事司令官だったウル・ナンムは、メソポタミア地方を統一し、ウル第三王朝を成立させます。そしてウル・ナンムは国家のシンボルとして月神ナンナを祀る神殿を建築します。これが現代にも残る有名な「ウルのジッグラト」です。
○混乱のメソポタミア(仮)
ウル第三王朝の国力が弱まると、その勢力下にあったイシンやラルサと言った都市が独立を主張し始め、さらにウル第三王朝が滅びると、中部のエシュヌンナや、マリ、そして新興都市バビロンが勢力を伸ばしてきます。
メソポタミアは各都市が覇権を争う混乱期に突入します。この混乱期はバビロンの王ハンムラビが登場したことで、古代バビロニア王国の統一で幕を閉じます。
メソポタミアは各都市が覇権を争う混乱期に突入します。この混乱期はバビロンの王ハンムラビが登場したことで、古代バビロニア王国の統一で幕を閉じます。
●ヒッタイトの戦車
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/e8/c95e2c4b3db3696c73e2dac93aa53515_s.jpg)
アナトリアに興ったヒッタイトは、強力な戦車部隊を使って、オリエント各地に侵攻しました。メソポタミアも例外では無く、古代バビロニア王国は、ヒッタイトの侵略よって滅ぼされました。
古代バビロニア王国滅亡後、バビロニアではカッシート王朝が興りますが、メソポタミア北部のアッシリアが強大となり、周辺の国々へ侵略し始めます。バビロニアも例外なくアッシリアの支配下となります。
●セミラミスの空中庭園(ゲムマ2018秋 予約特典)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/1d/5e8dc9cd440d0f38e20a4dc6d0280724_s.jpg)
アッシリア帝国の女帝となったセミラミスは、首都ニネヴェに水を汲み上げる装置を完備した屋上庭園を造りました。後の世に言われるバビロンの空中庭園です。
●ネコ2世襲来(web掲載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/ba/ebd038f8777d731c34f5a6523b242216_s.jpg)
メディア王国と同盟を結び、アッシリア帝国を滅ぼした新バビロニア王国でしたが、アッシリアと同盟関係にあったエジプト王 ネコ2世が、アッシリアの残党を助けるべく、シリアに遠征を行ってきました。そこで急遽、新バビロニア王国の王子ネブカドネザルは軍を率いてシリアに向かいました。かくしてシリアの都市カルケミシュで両軍は激突するのでした。
●バビロンの聖塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/19/34/411bffd895906ed44a5921458c61c5f4_s.jpg)
新バビロニア王国の王となったネブカドネザル2世は、バビロンに巨大なマルドゥク神殿を建設しました。そこで建てられた聖塔(ジッグラト)は、後世に「バベルの塔」として語られることになります。
イラン高原に興ったアケメネス朝ペルシアは、メディア、新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを統一します。
●ペルセポリス宮殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/7f/e7104bb4af46e459ec4328fb52345cc0_s.jpg)
アケメネス朝ペルシアの王、ダレイオス1世は帝国の首都として巨大な宮殿を構えたペルセポリスの建築を行い、帝国は最盛期を迎えます。しかし、紀元前331年マケドニアのアレキサンダー大王が、アケメネス朝を滅ぼし、ペルセポリスを破壊したことで、メソポタミア文明は終焉を迎え、ヘレニズム文化に飲み込まれていきます。
<メソポタミアの扉ホームページ>
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