植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

バイエルンとザクセン

2007年04月13日 21時22分11秒 | 国:ドイツ・オーストリア
 昨日、プロイセンのプレイレポートを上げましたが、プロイセンは現在のドイツの元となった国で、神聖ローマ帝国内のブランデンブルグ辺境伯が力を付け、選帝侯と言う皇帝を選出する選挙権を得た上に、神聖ローマ帝国外のケーニヒスベルク(現カーニングラード)を支配していたドイツ騎士団と同君連合になったことで、その領地を得、その地で王になることを各国に認めさせたことで、1701年にプロイセン王国が建国します。
 その後、プロイセンは富国強兵に勤め、神聖ローマ帝国の帝位を独占していたオーストリア・ハプスブルグに変わり、ドイツ諸侯を取りまとめ、1866年の普墺戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となり、後のドイツ帝国の母体を完成させます。

 このゲームでは、プロイセンは北ドイツ同盟を表し、同盟カードにより国力を増大させることが可能です。勿論、それを交渉カードでつぶすこともできます。
 フランスなどが妨害し、その報復として対仏戦を行うなんてストーリーは史実を髣髴させる流れです。

 ここからですが、同じ神聖ローマ帝国内において同じく選帝侯の地位を得ていた有力諸侯であるザクセンやバイエルンが支配することは出来なかったのか? と言うのが今日の話題です。

 ザクセン公国は、神聖ローマ帝国の初代皇帝となったオットー1世の本拠地で、皇帝になると留守にすることが多かった為、領地を家臣に任せます。その後、その家臣の家柄が途絶え、最終的にはヴェッティン家の領地となります。ザクセン公は選帝侯の地位は得るものの、以後皇帝を輩出することはありませんでした。
 一方、17世紀末になると、時のザクセン公フリードリヒ・アウグスト1世はポーランド王を兼、これが縁で19世紀初めナポレオンに協力し、ライン同盟に参加すると、ナポレオンによって建国されたポーランドのワルシャワ公国の王位を兼ねるなどします。
 しかし、ナポレオン敗退後、プロイセンとオーストリアが争った普墺戦争でオーストリア側につき敗戦した為、北部をプロイセンに割譲された上、プロイセン主導の北ドイツ同盟に組み込まれてしまいます。

 この過程から見る限り、ザクセンによるドイツ統一のストーリーは難しいかな…(-_-;)

 次回は、バイエルンを見てみましょう。

オリジナルカードゲーム 植民地戦争
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