植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

花賽<ゲームレビュー>

2011年07月15日 22時12分17秒 | ゲームシステム
 ゲームのレビューです。花札とサイコロを合わせて、花賽!! そのデザインがまたグッと来ます。ゲームはこのサイコロを使って普通に花札をやるイメージで、山から札を引く代わりに、サイコロを振ると言う具合です。

 しかし、やってみるとそのグッとくるデザインとは裏腹にゲーム性は花札そのものか、サイコロにした分、ゲーム性が失われている感があり、構想倒れな気がします。

 知り合いがお酒を飲みながら振るとか、実際に賭け事に使う・・・など意見が出ましたが、そう言った条件で遊ぶには良いかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三国志時代の州の遷移3(三国時代末)

2011年07月10日 20時03分25秒 | ゲームシステム
 こちらが一番三国志の地図として関連書籍に載っている地図ではないでしょうか? よく小説でも1巻の黄巾の乱の内容でもこの地図が掲載されているのですが、黄巾の乱から官渡の戦いまでならこの地図は適さないでしょう。この地図は諸葛亮が北伐(特に第3回)を繰り返していた224年以降の地図です。

 前の地図との違いを見ていくと、まず平原が青州から冀州に組み込まれています。官渡の戦いで勝利した曹操が冀州を統治する際に行った措置です。もともと平原は青州の中で唯一黄河の北側にあるので、これを統治しやすいように同じ北側の冀州に含ませた格好です。

 次に大きな変更点としては、ややこしいのですが涼州と雍州が逆転して、東が雍州となり西が涼州とされております。さらに司隷だった長安が雍州に編入されています。
 元々、涼州と雍州をあわせた地域は、全体で涼州とも雍州とも言われており、どっちの名前でも大差は無いのですが、両方の名前を入れ替えるなんてかなりの荒業です。これは北伐まっさかりの220年に行われており、蜀が涼州を奪うぞと明言しているので、蜀が奪いそうな範囲を雍州と変更することで蜀がたとえこの地を奪ったとしても目的を達成させた訳ではないと言い訳できような処置だったのかなー。
 ちなみに長安が雍州に組み込まれているのは、この時代になると洛陽が首都として機能しますので、漢時代に首都として機能した長安に首都機能を求めなくなり、さらに北伐に対抗する魏の拠点となっていたので、蜀が押し寄せてくる他の雍州の地域と一緒にすることで管理しやすくしたのでしょう。

 あとは益州の上庸が荊州になっています。益州のほぼ全ては当時蜀が抑えており、魏に残っていたのがこの上庸です。魏では上庸だけで益州とするわけにもいかなかったのかこの地域を魏の荊州に組み入れています。宛や襄陽なんかと同地域です。逆に、下弁がある雍州?涼州?の 武都郡が 第3回の北伐で蜀に取られたので、魏はこの地域を雍州?涼州?から切り離して、益州としています。こちらは正式な記述を見つけられなかったのですが地図からすると益州とみなされるようになっています。もしかしたら、蜀が武都郡を奪った際に、蜀が奪ったのは雍州や涼州では無い!としたかったのかもしれません。
 ここまでがこの地図上での話になります。

 これ以外ではこのあたりの益州と雍州の境の地域が泰州となったり、孫権が一時的に交州の東側を広州に分割したとか、晋代には南中が寧州になったとかあるのですが、三国時代の地図としては出てくることが余りありませんね。

三国志時代の州の遷移1(後漢)
三国志時代の州の遷移2(三国時代初頭)
三国志時代の州の遷移3(三国時代末)
QLOOKアクセス解析
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南スーダン

2011年07月09日 22時49分00秒 | 国:英国
 昨日 7月1日、アフリカで新しい国が誕生しました。誕生した国は南スーダン共和国で、スーダンの南1/3ぐらいが分離独立したかっこうです。
 元々、スーダンは英国領でエジプトと共同統治で支配されてされていました。北部はイスラム圏なのですが実は南部は隣国エチオピアなどと同じくキリスト教の住民が多く、英国から独立する際に南北で別れて、南はウガンダに併合と言う案もあったのですが、結局南北統一で独立しました。
 しかし、1983年に政権がスーダン全土にイスラム法を適用したことで、イスラム教徒でない南部の住民もお酒が飲めないなど制限が加えられるとそれに反発(そりゃあそうだわ)して、内戦が勃発して200万人という死者を出す凄惨な状況となってしまいます。

 この度、晴れて独立し、お酒も自由に飲めるようになるそうです。
 
 地図の北側のピンクがイスラム圏、南スーダンと水色が比較的キリスト教の多い国々です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

EVEN(カードゲーム)<ゲームレビュー>

2011年07月09日 07時17分13秒 | ゲームシステム
 ゲームマーケットで買ったゲームのレビューです。こちらは、チームきりたんぽ(仮)さんの「EVEN」です。これは凄いです。まず、3枚のカードを裏に出します。相手も同様に出しており、自分の手番で自分が裏で出したカードか相手が裏で出したカードにつけていきます。1つが4枚(うち1枚が最初に出した裏)になったらそのカードは終了で、他の全てが4枚づつになったらゲーム終了です。
 ゲームの目的は、4枚の合計を0にすることです。カードは+1やら+3といったプラスのカードと-2や-3といったマイナスのカードがあるので、これを駆使します。しかし、これは相手も邪魔が出来るので、例えば裏の状態で-4のカードを置いていたので、そこをなるべく0にしようと、自分の手番に+2を置いたとします。すると相手は自分がプラス方向にしたいと詠んで、そこにさらに-5なんかをつけてくる・・・そうなると0から遠ざけられてしまいます。

 こんな感じで相手の裏面のカードを、その後置かれて行くカードと相手の行動から詠み合って、自分の3箇所のカードをそれぞれ 0に近づけるゲームです。

 あとは、EVENと言う特殊カードがあり、こちらは4枚中2枚ないしは4枚ともEVENカードだとそのカードセットは0とみなすと言うルールがあります。逆にEVENカードが1枚だと失点3点(例えば他のカードの合計が+2点なら、失点2点なので合計失点5点)、3枚だと失点9点になります。
 これも相手に失点させるために置いたら実は相手の裏面がEVENでちょうど2枚になって、0点にさせてしまうなんてこともあります。3人で遊んだのですが、かなり相手の置いたカードの読み合いになり白熱しました。ルールも隙が無いほど巧妙に作られており、このゲームの出来のよさには感服です。

 一応、運良く 2回目に遊んだ際は、3箇所全てを 0にすると言うパーフェクトゲームを達成しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三国志時代の州の遷移2(三国時代初頭)

2011年07月06日 21時23分25秒 | ゲームシステム
 次の地図は書籍などであまり見ない地図かと思います。一番特徴的なのは涼州が分割されて、西側(左)が「雍州」となっていることです。
 194年に涼州の西側4郡を雍州とすると言う通達が出ています。4郡とは敦煌・酒泉・張掖・武威です。こちらが雍州で、安定や隴西・金城・武都・漢陽などはそのまま涼州です。このお達しは西側4郡が異民族が跋扈して漢民族の支配が及ばなくなったので、及ばなくなった地域専用に刺史を派遣して、その地を統治しようとしたためと言われていますが、194年と言うと李カク政権の頃で、ちょうど隴西や天水郡を勢力範囲とする馬騰が反乱を起こしたときなので、勢力を弱めたり、朝廷の支配を強めるための対策だったのかもしれません。
 
 次に并州の領域が半分になっています。朔方を中心とした黄河を挟んだ西側のオルドス地方は漢の初期には并州刺史とは別にこの地を統括する為に朔方刺史が置かれましたが、後漢末には漢の支配がまったく及んでいなかった為です。正式にこの地方である朔方・上党・五原・雲中・定襄の各郡が破棄されるのは曹操の時代の215年になります。
 同様に涼州の北地郡も大半が漢の支配が及ばなくなっており、ほんの南の地域だけが勢力範囲でした。こちらは北側が正式に破棄された記述は見つけられなかったのですが、地図をみると破棄されたように扱われています。
 サクサク三国志では、このオルドス地方は朔方としてショートカットの道としました。

 あとは幽州の東側の遼東は公孫氏が三国とは別に支配し続け、益州の南の南中(雲南)は劉焉・劉璋の支配が及んでいない地域でした。また、交州も士燮が支配して独立国家を形成していました。この辺境の地域は一応、漢の版図内ですが、三国時代の初頭は中央の群雄割拠とは無縁の状態だった為、この地域がゲームの地図上から外されていることも多いです(逆に入っていることもありますが…)。
 それぞれ後年、遼東は司馬懿がこの地を支配していた公孫淵を滅ぼした238年に魏に組み込まれ、南中は、諸葛亮が孟獲を下してこの地を平定した225年に蜀に組み込まれ、交州は226年に士燮が病死した際に、呉の支配が強まり、それに反発した息子の士徽を呉の将軍 呂岱が鎮圧して以降 呉に組み込まれました。

三国志時代の州の遷移1(後漢)
三国志時代の州の遷移2(三国時代初頭)
三国志時代の州の遷移3(三国時代末)
QLOOKアクセス解析
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

植民地戦争 Ver2.0のテストプレイ

2011年07月04日 22時03分47秒 | ゲームシステム
 前々回のブログに掲載したとおり、初期植民地を入れて遊んでみました。

 初期植民地は場に置いた状態でスタートだったのですが、初めから場に植民地は置かれたものの、それを攻め取る兵力が無いのでやっぱり序盤は動きが作れませんね。あとは、初期枚数を第1クォータの総生産の枚数まで持たせるかです。次回はこのルールも追加してみようと思います。

 さて、ゲームの内容の方は、私のデーンマークから、ドイツ、英国、オランダ、ムガール、イタリアと6人のFull人数で遊びました。序盤は植民地がほぼ均一にバラけた為、そんなにどの国も無理して戦争は起こさなかったのですが、第1クォータの終盤にデンマークがアメリカ(国力3)を植民地として場に出したことで、イタリアがデンマークに戦争を仕掛けます。この時イタリアは独立による強国化してるは、ドイツと同盟しているし、手持ちカードはほぼ全て兵力カードだはと無敵状態!

私もムガールと同盟を結んでいたので援軍1枚は受けれますが、今のイタリアに対抗する気は無く、1枚だけ出して相手の戦力をオープンにだけしてアメリカを引き渡します。と言うのも手持ちに市民革命と、交渉カードを持っていたので、これでイタリアを弱体化させることが出来る算段でした。
 で、自分の手番に市民革命を出すと案の定、イタリアは交渉カードで防いできます。そこをさらに交渉カードで無効にして「してやったり!」と思ったのですが、同盟をしていたドイツが援護で交渉カードを出してしたために市民革命は無効化されてしまいます。まさかドイツが手助けするとは思いませんでした。まあ、ドイツはアメリカを攻める際に、租借を1つ与えていたので、その恩義もあったからですが・・・やられました!

 結局、第1クォータはそれでも5点と6点の国に分かれたぐらいで僅差で着地して第2クォータに突入です。第2クォータに入るとムガールとデンマークの同盟、ドイツとイタリアの同盟、そして英国とオランダの同盟が成立し、勢力が分かれます。その中でも特に強固な同盟を組んでいたのが英国とオランダです。ドイツが英国のインドネシアを大海軍を率いて奪おうとしますが、これを横からオランダが和平で無効化します。

 第3クォータになるとインドを引いたオランダがダントツでトップに立ち、1点差で英国が続きます。まさにこの2カ国の協力関係が有利に働いた結果です。例えば私(デンマーク)がオランダのインドをわざと避けてフィリピンぐらいくれないかと戦争を仕掛けると、同盟国として英国が兵を出してきますので、オランダは疲弊すらしません。

 しかし、このオランダ・英国絶対有利の状況を覆したのがドイツです。第3クォータの最後の山札を引くことを避けるために、インドを擁するオランダへの戦争を避けて、英国のインドネシアに攻撃を再度しかけます。将軍・司令官を擁する大艦隊の前にさすがに英国は撃沈します。

 その為、英国は反撃の戦争を仕掛けることが出来ず、自分の手番では最後の山札を引くことになり、これでドイツが最終手番を獲得します。その後、オランダは守備に入ってパス。次のムガールは、インドを奪うためにオランダに攻め入ります。しかし、オランダはこれを死守。しかし続けてイタリアに攻め込まれてインドを失います。しかもイタリアは大兵力を殆ど損失することが無くです。その為デンマークも、ドイツも勝利する為の条件となってしまったイタリアからのインドの奪取が行えず、そのままエンド。終わってみるとイタリアが自称バチカン大帝国と称するほどの大勝利でした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三国志時代の州の遷移1(後漢)

2011年07月03日 23時08分35秒 | 国:日本・アジア
 今回、サクサク三国志で三国時代の州の区分について調べましたので、3回に別けて解説していきます。三国志の書籍を見ると載っていることも多い、当時の13州の地図ですが、書籍によってビミョーにと言うかかなり違っています。まず、今回掲載した地図もそこそこ三国志の地図として紹介されている区分けです。

 こちらの地図は三国志と言うよりも漢時代の地図と言った方が正しいです。漢では中華を13の州に分けました。

幽州
冀州
并州
エン州
青州
司隷
涼州
徐州
豫州
揚州
荊州
益州
交州

 別けた当時の区分けがこんな感じの領域です。三国時代と言うよりも漢の最大版図の州別けですね。


三国志時代の州の遷移1(後漢)
三国志時代の州の遷移2(三国時代初頭)
三国志時代の州の遷移3(三国時代末)
QLOOKアクセス解析
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブレインフリッパー+<ゲームレビュー>

2011年07月02日 07時26分14秒 | ゲームシステム
 ゲームマーケットで買ったゲームを遊んだ感想です。最初は川崎ファクトリーさんのパズルゲーム「ブレインフリッパー+」です。
 このゲームは4枚の●で形が描かれたカードを組み合わせて、3枚を使ってお題の形を作るゲームです。作ったら出来た意思表示で場のカードをタッチしてポイントを得るのですが、1点を直ぐに得ると2点を狩り置きで得るがあります。これで逆転を狙ったりする工夫がされています。

 何はともあれこのゲームの凄いのは、お題が100以上あり何度も楽しめるのと、1人でもついついお題に向かってパズルをチャレンジしてしまいます。
 このゲーム、実家の60を過ぎた両親とやったのですが、ハマっていました。ルールが単純で単にその形を作るだけですので、黙々とパズルを解いていました。子供知育やボケ防止に良いかもしれません。勿論、普通に成人も楽しめます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする