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高田渡作品との出会い・【タカダワタル的】

2020年08月14日 23時14分00秒 | 音楽
フォークソングの歌い手[高田渡]を知ってから、10年以上経ちます。
その作品に触れて、取り憑かれた頃には[高田渡]はとっくに故人でした。
もっと早く作品に出会えていればと、CDを聴きながら思います。
けれども、いっこうに色褪せない[高田渡]の音楽性の魅力に、作品として[高田渡]は生き続けていると言っても言い過ぎではないと強く思います。

さて、私が最初に出会った[高田渡]作品はCDではなく、ドキュメンタリー映画【タカダワタル的】でした。なので[高田渡]の作品ではなく、出演している映画が正しいのですが…
友人がDVDを、なんのきっかけか忘れましたが貸してくれました。
借りておきながら1年くらい観ないで放置してました。
もうそろそろ返さなきゃなという思いと、暇だから観るかという『消極的理由』で、DVDを再生しました。

【タカダワタル的】この映画は、[高田渡]を追ったドキュメンタリー映画です。
主にライブを中心に映画は進行していきます。

初見から[高田渡]の虜になりました。
初めて観た感想は「なんだこれは?」でした。
音楽のライブなのに、歌う以上にお喋り(ぼやき?)をしているようです。
MCという方が一般的かも知れませんが[高田渡]は純粋に喋ることを楽しんでいるように見えます。
ちょいとした皮肉を笑いに変えながら、バックミューシャンやお客さんを巻き込みながら、音楽とお喋りが続きます。
お喋りばかりなので、歌うのがメインなのか、お喋りがメインなのか戸惑いました。
ライブ盤CDを買ってこういうスタイルなのだと、後々納得しました。

音楽も独特です。特に詩に特徴があります。
オープニングで歌われる「ごあいさつ」という唄からして、独特ですし、少し人を食ったところがあります。
さらりと聞き流すと良く意味が分かりません。

人を食う唄。皮肉と笑いまじりのお喋り。このどちらも嫌味になっていないから驚きです。
唄もお喋りも、そのライブの空気に合わせたように自由自在に変化していきます。
暗めの唄を歌うと、すかさずクスっと笑うような話しを持ってきます。また、その逆もあります。

ライブ会場のお客さんとのやりとりもハラハラさせて飽きさせません。
さあ、ライブ開始! といった矢先に、歌詞を見るための老眼鏡を忘れたことに気づきます。
お客さんがそっと自分の老眼鏡を差し出すと、それをかけて「いいメガネだね。自分のよりいいや。もらっちゃおう」なんてことを言い出すのです。
行き当たりばったりなのに、まるで台本にあったかのような展開です。

ライブは主に下北沢のすずなりを中心にして撮られています。
[高田渡]は放浪の人、京都や青山でのライブも収録されています。
[高田渡]の地元であった、吉祥寺での野外ライブでは親子共演です。

行きつけだった吉祥寺の『いせや』でのやり取りも必見。
井の頭公園の風景と共に流れる唄も泣かせます。

ラストは『生活の柄』で締めます。フォークソングを知る人や、ある世代の人なら知っているのではないでしょうか。
私も大好きな唄です。

そしてアンコールに応えて……


このDVDを観るまでは、自分からCDを買うことはまずありませんでした。
何を聴けばいいか、どんな音楽が好きなのか、全然わからなかったのです。
中学生か高校生の頃に買った、アニメ関連のCDが、自分の意志で買ったと言える唯一のCDだったかも知れません。

【タカダワタル的】を観て以来、[高田渡]のCDを必死になって集めました。
どんな音楽が好きなのか、この問いには未だに答えられません。けど、好きな歌い手はと聞かれたら[高田渡]と即答できます。そこまで惚れ込んでしまいました。

幸せな音楽体験は、[高田渡]からだったのです。