戦闘機を敵の攻撃から守るための格納庫のこと
松山には当時、38基のコンクリート製掩体壕と25基の土製掩体壕があったそうだ
今現在、3基の掩体壕がかろうじて残っている
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そのうちの1基(2008.01.25撮影)
住宅に囲まれた中にぽっかりと口をあけた様子がなんとも場違いな感じさえして物悲しい
手厚く保存されてないため風化し、中はゴミと落書きが(ーー;)
「紫電改」を爆撃から守ったこの掩体壕も今じゃこの扱い。。。
残りの2基の掩体壕は見つけられなかったが
聞くところによると倉庫やガレージとして使われているらしい
このまま宅地化が進めばこの掩体壕も姿を消す運命なのかもしれない
そのうち、戦争を知らない世代ばかりになり
こうした戦争の名残を残すものは次々と朽ち果て
戦争があった事すら遠い過去の話となり
皆が願う平和の重みを未来の私は今と同じように感じられるだろうか?
昔はこんなものも作っていたのですね。
いつか、宅地化が進んでなくなる日も来ると、戦争のことも記憶から遠のいていくのでしょうね。
オリンピックをしていても、あるところでは戦争が、
いつになったら本当の平和が来るのでしょうか。
永遠の課題のような気がします。
風化し始めているとはいえ、しっかりした形ですね。
こんなものを作る時代があったことの名残を永く残してほしいものです。
調べたらすぐ近くの厚木基地の中にもあるそうですが、基地内で普段は見られません。
こんなドキュメントは何度も繰り返し放送してほしいですね。
戦後派の私は実体験はありませんが、親世代の話を見聞きしています。
これからの若い人たちは、こんな機会をたくさん持ってほしいです。
B29を超柔らかい鉛筆といった若者がいたとか。。。嘆かわしいですね。
大阪の人にも忘れられているようです。
60年以上たつと人の記憶も薄れ、戦争体験を語る人も少なくなって来るので、戦争がいかに悲惨なことかを知り考えるためにも出来ることなら残して欲しいですね。
確かに格納庫は必要ですけど、それにしても田んぼの真ん中に平然として作られてたってスゴイ事です。
いくつもあったのが、今は3基…残念な気がしますね。
戦争は忘れちゃいけない、繰り返してもいけない…みんなそう思ってるはずなのに…どうして悲惨さを忘れてしまうんでしょうね。
お義父さま、デイサービスに行かれるようになってよかったですね~
何時間かでも、自分の時間が持てるというのは
すごい解放感がありますよね
掩体壕というのですか~「紫電改」の格納庫なんですね
その昔、ちばてつやさんの「紫電改の鷹」という漫画を読んだことがあります
少年兵たちの勇ましくも悲しい物語でした
畑の中にそのまま残っているのは何だかシュールな感じがします
この掩体壕の姿かたち、パッと見、何だろ?って感じですよね。
悲しいかな、この世に絶対という事はないのでしょうねぇ。
だからこの先、日本が絶対に戦争をしない!と言い切れないのが怖いです。
平和な世の中になってほしいと切に思いますね。
でも、平和が当たり前になりすぎて人の心が鈍感になるのも悲しく思ったり。。。
難しいですね。とにかく人が人を不幸にする世の中っておかしいです。
★横浜のおーちゃんへ
掩体壕の事、実は私も知らなかったんです。
しかも、知るきっかけになったのは他県のメル友さんの言葉から。。。
すごく恥ずかしかったです。松山に住んでても知らない人の方が多そうです。
そちらは厚木基地内にあるんですか?そりゃ見られませんねぇ、残念。
でも、探してみれば近くに遺跡など何かしら残ってるかもしれませんね。
★mさんへ
原爆の日、終戦の日が近くなるとやたらドキュメンタリー番組が織り込まれますね。
私も見られる限りは見るようにしてます。
いえ、見なきゃいけない!義務じゃないか!とさえ思ったりして。。。
辛い話だから語り部の方たちは心を削るような思いで話されてるんだろうと思います。
それを茶化す学生も結構いるようで、悲しいというか悔しくなります。
知らないでいる方が幸せだという親もいて、だから想像力が育たないんでしょうね。
★パンダママさんへ
人の記憶ってどんなに気をつけていてもだんだんと薄れていくんですよね。
でも、何かきっかけがあれば鮮明に思い出したり。
そのためにもこうした遺跡は残してってほしいって思うのですがやはり難しそう。。。
すでに何月何日が原爆の日なのか終戦の日なのか知らない人が多くなった世の中です。
どんなに悲惨な戦争の話をしても人ごとで何それ~?って感じなのかな。
いろんな歴史があって今の私たちがいるんだから、決して人ごとではないのに。
★pochikoさんへ
この掩体壕のある場所は松山空港のすぐそばなんです。
このあたりは当時、海軍吉田浜飛行場だったそうで海軍航空隊が置かれてたそうです。
だからきっと戦後の区画整理とかで民家や田畑が作られたんだと思います。
で、たまたまその狭間になった掩体壕のいくつかがポツンと残された。。。みたいな。
どんな形でもいいから1基は残して欲しいと思うんだけど市は無頓着みたいです。
せめて終戦の日くらいは平和について深く考える時間を皆に持ってもらいたいですね。
★グレンさんへ
義父、何とかデイに出かけてくれてますが、いつお迎えコールがかかるかヒヤヒヤしたりもしてます。
それでも、義父から解放される時間というのは細胞が生き返るようです(笑)
義父にとっても人さまのもとで時間を過ごすというのは刺激になるので良い事だし。
おおっ、グレンさん。「紫電改の鷹」なんて渋いマンガをお読みになってたんですね~
その紫電改、唯一現存する1機が我が愛媛に保存されてるんですよ。
30年近く前、海底から引き上げられたものなんですが。。。
見にいった事あるんですが思ってたより小さくてボロボロな姿に戦争を知らない私ですら涙がこぼれました。