母が旅立って1年あまり
香川から鉢ごと引っ越してきたほど
母が大事にしてた花のヒッペアスケリア
窮屈そうだったので大きな鉢に植え替えたせいか
今年咲いたのはこれだけ
形見だと思って大事にしようと思っている
思えば母と深く話し合ったことがなかった
私は母がどんな子供時代を送ったとか
若い頃は何をしてたとか
どんな経緯があって父と一緒になったのかとかを知らない
母も私が家を出てからどんな風に生きてきたかを知らない
そのことについて話し合うほど近しい存在になれないままだった
母を引き取って2年ほど同居もしたのに
母は達筆で几帳面だった
本人もそれが自慢だった
が、読み書きがまったく出来なかった父との喧嘩の元でもあった
母は勉強も良く出来て賢い人だった
父は自分の名前すら書けなかったが世渡り上手な人だった
愛媛と香川、他県に住んでた二人がどこでどう出会い
私の知る限り喧嘩ばかりしてたのに
当時は何が良くて一緒になったのか
今はもう聞くすべはないけど
聞いておけば良かったなとすごく思う
母がひどい認知症になったのは同居が原因だったのかもと思っている
反りが合わない私と暮らすのは居心地が悪かったろうと思う
言い方も事務的だったりキツかったりと
きっと私は優しくなかったと思う
だますように連れて行って認知症病棟に入院させたのに
面会に行くたび、帰りたいと泣いた母
あれほど息子大好きだったのに息子の存在すら忘れつつあった
そんな母を可哀想に思いつつも
退院後、また一緒に暮らす気持ちは持てなかった
コロナのこともあり面会も出来ないまま3ヶ月たらず
やっと顔を見られたのは
体調が急変し息を引き取った後で看取ることも出来なかった
つくづく縁の薄い関係だったんだなぁと思い知った
母の好物だった芋けんぴ
今更ながら命日に私も一緒に食べてみた
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