ここ数日は、10年ぶりにドラマに復帰したイ・ビョンホンと
キム・テリという女優さんの二人が主演した2018年の韓国ドラマ
「ミスター・サンシャイン」という超大作ドラマを観続けていた。
いずれもあちこちからお借りしたもの。
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李氏朝鮮(1392年〜1897年)末期、日本では明治時代にあたり
日本軍が朝鮮民族を凌辱して統治している背景の中
時代錯誤な両班(ヤンバン・貴族)たちや、それとは逆に
世界に目を向ける若者たちや、朝鮮に恨みを抱く低い身分の者たちが
祖国を取り戻そう闘った、朝鮮版”明治維新”を思わせる物語。
イ・ビョンホン演じる、主人公のチョ・ユジンは9歳の時
仕えていたご主人様の理不尽な命令で
自分の両親を目の前でなぶり殺され、そこから命からがら逃げ
アメリカ人宣教師に付いて米国に密航する。
異国の地で、東洋人という蔑みなどの辛酸をなめながらも成長し
大人になってアメリカ海兵隊の将校となり、任務のため
辛い記憶の、祖国とは言えない思いの朝鮮に
アメリカ人として赴任する。この地で
日本に統治されている祖国を取り戻そうと動いていた女性
コ・エシンと知り合い、次第に彼女に惹かれ
背後から助けていくことになる。
ドラマの最後まで
日本人(日本軍)の蛮行といえる悪行の限りを描いていて
それぞれの場面は悲しみの色に満ちあふれている。
私は、韓国ドラマの制作者側の、偏ったドラマ作りとは思わない。
あまりにも悲しく苦しい気持ちになるが、主人公の
ユジンとエシンの清らかで節度のある、理想高い精神の中の純愛に救われ
彼らと共に、最後まで国を取り戻すという悲願の元に
決死の覚悟で闘って散った民間人たちの経緯にもふるえる。
そして、ユジンがアメリカにいた時に買った
オルゴールから流れるのは、一昨年妹とピアノ連弾した曲。
このドラマのBGM フォーレの「シシリエンヌ」が
より悲哀感を醸し出す。
日本人はこの歴史をきちんと学び、直視せねばならないと痛切に思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/f0/8bbd2b601b748e1630e60b1b68891a22.png)
ヒロイン コ・エシンは
両親が革命で命を落としていて、その血を引いているからか
肉を食べたいという祖父のために
狩りの為の鉄砲打ちの技術を習っていく内に
射撃の名手になっていく。
この物語の鍵となる3人の男性から想いを寄せられる女性で
この時代の、気品と気高さと優しさを持った
凜と佇む両班のお嬢様を、キム・テリが演じていて
そのかっこ良さに魅了された。
そのかっこ良さに魅了された。
日本に取り入り、のさばり悪徳な、娘も利用するイ・ワンイクという男。
日本人側の、悪の権化のように描かれている男を父親に持ち
日本人と結婚させられ、未亡人になっている
ホテルの支配人の工藤陽花(ひな)/イ・ヤンファと
低い身分で朝鮮でも蔑まれ、日本で浪人になって帰ってくる
ク・ドンメ/石田翔の二人はどこか似ていて、心の闇を共有しながら
祖国を取り戻す為に闘うエシンとユジンを助けていく。
エシンの許嫁で、両班の若様キム・ヒソンは
だったユジンの両親を殺させたのが
自分の祖父だと後に知ることになり
贖罪のような思いでユジンを助けていく。
明日をも知れない時代の中での切迫感も漂い
お嬢様エシンに関わっていた大勢の人たちも
闘いの渦に巻き込まれ、男性三人も工藤陽花もエシンを助けるが
人びとの悲願を彼女に託しながら、最後には全員が逝ってしまうという
あまりにも悲しいドラマ。
他国に侵略された国の悲惨さを思い知らされ
今なお韓国で「半日」を叫ぶ人が居ることの所以だと思う。
「自分はエシンのうしろにいつも居る」と言っていたユジンは
彼女を照らす「ミスター・サンシャイン」として生きた男性。
分厚いシナリオと、それぞれの人物の心理描写を
きめ細やかに巧みに演じる俳優陣の
存在感が際立っている圧巻のドラマだった。