すっかり忘れていたけど、昨日の4月19日は「地図の日」だった。伊能忠敬が寛政12年(1800)のこの日、夷地の測量に出発したのを記念するもの。 彼が生まれたのは延享2年(1745)だから、なんと55歳で測量の旅に出たことになる。現代なら早期退職か、再雇用なんていう年頃だからすごい。 この日から16年間も日本全国を渡り歩いて調査したというから恐れ入るよね。終わったときは71歳か、ものすごい精神力と体力の持ち主だったわけだ。 そんな記念日に、この記事をアップしようと思っていて忘れていた…… 今回ご覧いただくのは中華街西門通り周辺の地図だ。 4月3日に「昭和40年頃の西門通り界隈」と題して当時の地図を掲載したところ、かつてその辺りにお住まいになっていたというイサさんからいろいろな思い出をコメントしていただいた。その後、確か自分のストックの中に昭和30年代のものがあったはずだと思い出して捜索したら、区別明細地図としては最も古い昭和31年のコピーが出てきた。 ということで、あの頃の地図をご覧いただこうと思うが、その前に平成元年撮影の写真を張り付けておく。冒頭の画像はJR添いのバス通りと「海河道」との交差点。海河道というネーミングは、おそらく「海と河をつなぐ道」からきているのではないかと思う。 これは中華街発展会のマップだが、赤丸で示した道が「海河道」だ。地図の上方がJR側、右下の洗手亭の先が横浜港、つまり海である。現在JRが走っている高架線は、かつて「派大岡川」という運河だった。そんなことからこの道は、「海」と「河」をつなぐ「海河道」と名付けられたに違いない……と思う。 さて、冒頭の写真は30年ほど前に、古そうないい建物があるなと思い撮影しておいたもの。外資系商社が所有しており、当時は「ウィンクレル商会」と書かれた小さな看板が架かっていた。いまネットで調べてみると、1883年にヤコブ・ウインクレル氏が輸出を主とした貿易事業を開始したとあり、現在でも中区に本社があることが分かった。 このビル横から海河道に入り、ロイヤルホール方面を眺めたのが、この写真だ。↓ そして、いよいよ昭和31年の地図を見ていただこうと思う。 下方の中ほどに「ウィンクリル商会」と書かれたビルがある。これが「ウィンクレル商会」だ。私が撮影した平成元年でも、事務所ビルの形はこんな感じだったと思う。 なかなか素敵なビルだったので何か由緒があるのではないかと当時調べたら、なんと戦前にはここがドイツ領事館として使われていたことが分かった。 会社のホームページによると、1870年、創業者のヤコブ・ウインクレル氏が来日し、横浜のドイツ商社であったH.Ahrensに従事した、と書いてある。名前から想像すると、おそらくユダヤ系のドイツ人だったのではないか。そんな関係から戦前はドイツ領事館に転用されたのだろう。 そのウィンクレル商会と道路を挟んで向かい側には「港高校」と並んで「南高校」という文字が書かれている。南高校は戦後の一時、ここに間借りをしていたようだね。その後の関内の地図を見ると、現在の市役所駐車場のあたりに「南高校予定地」と書かれているので、たぶんそこに建設しようとしていたと思われる。 花園橋病院、帝産倉庫、YWCAなども30年前は健在だったが、今はそれぞれ移転したり解体されたりして跡形もない。 今ではこちらのサイトで写真を楽しむだけだ…。 クリックして拡大ね♪ こちらは海河道の海寄りのブロック。北門通り(中央を左右に突っ切る道)と西門通り(右端の道路)には、バーやクラブが並んでいた。 イサさんが教えてくれた「オリヂナルジョーズ」が見える。 カフェー組合なんていうのもあったのか…… コーヒー「ブラジル」って、香港路のあそこか…… 理容センター「山口」というのは、いま関帝廟通りそばにあるあの店だろうね。 酒場「へびや」とは……? クリックして拡大ね♪ 西門通りとその一画。現在大きな駐車場がある場所、あそこ横浜中央病院だったのね。 港中学校の建物は戦前のままだったのだ。 関帝廟通り・長安道・福建路のぶつかる五叉路には教会があったのか。現在、東門の近くにある華僑基督教会なのかな。 右端の方に少しだけ現れているのが同潤会アパートだ。素敵な建物だったが解体され、いまでは高層マンションが建っている。 クリックして拡大ね♪ 残念ながら、横浜の区別明細地図は昭和31年からしかないので、それ以前は不明である。まあそれでも、このような地図によって65年前の中華街の様子が分かるっていうのは楽しいよね。 外出を自粛している現在は、こんな地図を見ながら昔に思いを馳せていただけたらと思う。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
お世話になります。
ウィンクレ商会懐かしいですね。
中に駐車場が有り、トラック等が出入りしてました。
冬はドラム缶の中に廃材を入れ、燃やして、作業員の方々が暖をとっていました。
後、野良犬が住みつき、よく追いかけられお尻を噛みつかれそうになりました(笑
隣は労金、懐かしい写真です。私が子供の頃は倉庫でした。
港高校が有るグラウンドの一部が一時期、住宅のモデルハウスが有りました。南高も同居してたんですね。
市役所周辺は開港記念バザーがあの辺り迄有り、
見世物小屋が沢山有りました。
例えば、脚が8本有るタコ女とか、お化け屋敷とか、(笑 のどかな時代でしたね。
関帝廟、中華学校が有る場所が会社の寮だつたんですね。初めて知りました。
懐かしい写真色々有難うございました。
ウィンクレル商会の建物が気に入っていて、
何枚も写真を撮ったのですが、これしか出てきません。
何処に行っちゃったのかなぁ…
港好悪河野グランドにモデルハウス!
知りませんでした。
バザーでは見世物小屋が出ていたんですね。
昔はよくありました。
はい!グラウンドの片隅に有りました。
今有る高速の道路側です。其れからモデルハウスが撤退して、グラウンドが拡張されました。昔は権利関係が複雑ですからね。
たぶん「みなとこうおこうの」と打ち込んだと思います……(汗)
冗談です🤭
港高校は子供の頃、よく遊びました。出入りが自由で、今考えると想像がつきませんね。
野球や色々グラウンドで遊ばせて頂きました。
今の倍以上グラウンドが広かったので。
体育館でも体操のつり輪等も遊び道具でしたね。
自由に遊ばせて頂いた事に今も感謝してます。
今の校庭は狭いですね。
どこかの公園くらいしかありません。
生徒がかわいそうですが、都心部だから仕方ないのかな。。。