冬桃さんのブログで今年も「ティンガティンガ原画展」が開催されていることを知った。会場はいつものギャルリー・パリだ。天気の良い平日を選んで行ってみた。 横浜公園を抜けて日本大通りに出ると、淡い緑色の銀杏並木が目に飛び込んできた。黄色に染まった銀杏もなかなか美しいけれど、今の時季の方が私は好きだな。 やっぱり、これから枯れて散っていく姿よりも、明るい未来に向かう姿の方がいいもんね。 オープンカフェでくつろぐ人たちや、日本大通りの風景を描く日曜画家たちを横目にして会場に到着。 ギャルリー・パリが入っているビルは、関内の三井物産ビルだが…… あれぇ? ビルの名前が違うじゃない… KN日本大通ビルだって…? いつから名前が変わったの… 調べてみると建物外観や内装はそのままで、2013年10月にビルの名称をKN日本大通ビルに変更したようだ。 KNって、なんだろうかね。何かの頭文字なんだろうか。 ま、それはいずれ分かるだろう。 この建物は建築家・遠藤於菟の設計によって明治44年、三井物産横浜支店として建てられた、日本で最初の鉄筋コンクリート造ビルだそうだ。 レトロなエレベーター。蛇腹の扉、アナログな階数表示がなんとも懐かしい。 そのエレベーターの横にギャルリー・パリはある。 入口にお祝いの花が飾られていた。 今年のテーマは、虹の国の仲間たち~ネルソン・マンデラ氏に捧ぐ~。 祝花の横にはマンデラ氏を組み込んだ絵が掲げられている。 白い服を着た白髪のおじさんがマンデラ氏だ。 会場内ではティンガティンガアートやタンザニアのグッズ・産物、書籍などが販売されている。 会場の外ではライブペイントも。 ところで… 今年の原画展を見ていて、私はあることを思い出した。それはマンデラ氏が亡くなった時の新聞記事に掲載された写真である。 さっそく近くにある「新聞ギャラリー」へ向かった。 そこで私が探したのはマンデラ氏の死去を伝える12月6日の夕刊。 1990年に釈放されたときの写真も一緒に掲載されていた。 一見、なんの問題もない写真なのだが… 翌日の朝刊に、こんな「訂正」記事が出たのだ。 これが正しい写真。 今はデジタル写真だから「左右逆」という表現を使うのだが、昔の言い方らなら「裏焼き」だね。 デジカメが登場する前はフィルムで撮影し、ネガを焼いてプリントしていた。そのネガというのは、どっちが表なのか裏なのか、よく分からないんだよな。 そこで裏表を間違えてプリントしてしまうと、左右が逆になった写真ができあがる。 構図の中に文字が写っていたり、あるいはよく知っている風景なんかだと、すぐ「裏焼き」だということが判明するのだが、そういった手がかりがないと、うっかり見過ごしてそのまま印刷されてしまう。 今回のミスを発見するのは、なかなか難しかったかもしれない。 私なんかもヘンだとは思わずに記事を読んでいたからね。 でも、お詫びと訂正の記事が出てから、あらためて見直してみると、少しだけ手がかりがあることが分かった。 マンデラ氏の手だ。釈放されて支持者に応えるため拳を振り上げるとしたら右手じゃないだろうか。 それと上の写真に写っている左の男性。上着の胸ポケットが右側になっている。 でも、これは間違いを指摘されてから見直して気がついたのであって、知らないで眺めていたらほとんど気づかないと思うよ。 と、ここでまた私は2つの裏焼き写真を思い出した。 一つは、先輩のIさんが発見したのだが… 有隣堂が発行した『横浜絵葉書』という本に掲載されている根岸の風景。絵葉書には横浜根岸滝頭と表示されているが、この風景はたぶん八幡橋を海側から撮影したものと思われる。 これを眺めていたIさんは「ん? ヘンだな」と思ったという。いつもの見慣れている風景にしては違和感がある。ということでこの写真をコピーして、それに照明を当てて裏から眺めてみたそうだ。 そこで思わぬ発見があった。 これが、裏から透かして見た状態。 完全に裏焼きだったのだ。 それも発行元の有隣堂が編集段階で間違えたのではなく、この絵葉書を製造販売していた「トンボヤ」が裏焼きの絵葉書を作ってしまったことが分かったのである。 その決め手は、こんもりした樹木が茂る八幡神社だ。これは現在も橋のたもとにあるので、現地を知っている人が絵葉書を見たら「ヘンだな」と気づくはず。 もし掘割側の上流から撮影したとすると、神社は八幡橋の左側手前に写っていなければならない。 逆に、河口から撮影したとすると、神社は右側で橋の向こう側でなければならない。 そのような考察の結果、この絵葉書は掘割川の河口から八幡橋を撮影した風景を裏焼きしてしまったものであることが判明したのである。 もし現物の絵葉書を持っている方がいらしたら、それは貴重な資料だと思う。 さて、もう一つは、私が発見したもの。 これだ。 横浜市が発行した『図説 横浜の歴史』、その350ページに掲載されている写真。 戦時下の市民生活を語る記事の中で、高射機関銃を構える兵隊たちの姿を紹介しているのだが、どこか違和感があるでしょ。 なにかがヘンなのだ。 拡大してみた。 ビルの屋上にはためくのは百貨店「松屋」の松鶴マーク。 下に見える川は、昔の派大岡川だね。今は埋め立てられて、その上を根岸線が走っている。 川のそばにある塔屋のついた白い建物は、どやら指路教会のようだが…… そうなると、どうも位置関係がおかしい。 本に掲載されている写真をスキャンし、左右反転させてみた。 松屋は吉田橋のそば、伊勢佐木町側にあったので、屋上から眺めると派大岡川が左に向かって流れている。その少し先の右側の護岸には指路教会。 真下の吉田橋は幅の広い尾上町の通りに繋がっている。 これで違和感が無くなった。 そう、これも裏焼きだったのである。 ということで、「ティンガティンガ原画展2014 虹の国の仲間たち ネルソン・マンデラ氏に捧ぐ」から思わぬ方向へ話が進んでしまったが、この日私が会場で買ってきたのは、インスタントコーヒーとザンジバルスパイス。 スパイスを使ったいろいろなレシピがホームページで公開されているので、今週あたり作ってみようと思っている。 まずはスープカレーと焼きそばかな。 そのあとは、オリジナルな料理に挑戦だ。 公式サイトは>>>>>>こちらから ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
気に留めて頂き恐縮です。
栄屋、というのですか。やはりもうないんだ…
そういえば、近くに八百屋があった様な。
それに茶こし付きマグカップを売っている店で
お、便利な!と手に取った覚えもあります。
気に行った店や物が無くなるのは寂しいものです。
それでは。
そのお店があったのは市場通りです。
八百屋はたぶん「池川商店」でしょう。
その店は健在です。
マグカップを購入されたお店は「小島食器」ですね。
現在は縮小して、路地裏に移転しています。
寂しいですよね。
今じゃ殆どの扉は電気仕掛けになっちゃいましたんで
昭和遺跡の宝物です。
蛇腹の扉だけではなく、
不思議なドアもあります。
まるで銀行の金庫の扉みたいなのがギャラリーにありました。
内部を探検する価値がありますね。
差別のない世が早く来ますように。
皆が良き隣人になれればいいですね。