6月1日(土)、少し前まで寿地区にあった「寿町総合労働福祉会館」跡地に、新しく「寿町健康福祉交流センター」がオープンした。かつての施設名についていた“労働福祉”が今回は“健康福祉”に変っている。 簡易宿泊所街に住む日雇い労働者が高齢化し、仕事のあっせんよりも介護の需要が増えてきているからね。そのため新しい機能を備えたセンターが建てられたようである。そのオープンの日、施設見学を兼ねてトークショーを見に行ってきた。 広場では着ぐるみ懐メロ音楽隊「日ノ出サンデーズ」のライブが行われていた。聴き入っているオジサンたちは少ないけど、なかなか面白いじゃないか。ツイッターやフェイスブックを見ると、色々なところに出ているようだ。 この日の目的の一つは、トークライブ。「寿の営みと蓄積 ~寿町の記録と記憶~」を拝聴することだった。まずはコーディネーター・進行役の杉浦裕樹さん(NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ代表理事)のお話。 会場は、彼らが運営を任された協働スペース。映画「どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街」を流しながら、寿町の歴史を解説したあと、このスペースを使って町の記憶をどうやって残していくのか、そのためには何が必要なのかなどについてディスカッションがあった。 簡易宿泊所・部屋数は、この30年間で増え続けている。平成22年以降は、123、124軒で止まっているようだが… 大変なのは、こちらだ。高齢化率。平成元年に7.5%だったのが、平成27年には、なんと54%にまでなっている! 住民の数はそれほど変わらないのに、高齢化率がどんどん高まっていく。住民がまったく入れ替わらず、そのまま高齢化していく様子がよく分かる。 一般社団法人リンクデータの下山沙代子さん。お話が難しくてオジサンはついていけなかった……。けど、なんとなく分かったような…… 会場からは「ずっとここに住んでいる高齢者たちが違和感なく過ごせるような活動を」というような意見も出ていた。 寿町の風景写真も飾られていた。 昭和30年代の簡易宿泊所。 寿町に関するさまざまな本が並んでいた。 こんなに出ていたとは、知らなかった… 銭湯も復活していた。 「翁湯」である。寿町にあるのになぜ「翁」なのか。近くにいた職員に聞いたら、昔は翁町にあったのだという。へえ~ その下には職安も。横浜港労働出張所だ。 馬券売り場みたいだが… アブレ手当受付。日雇い労働者の失業とは、どういう状態をいうのか。 それはね~ 説明するのが面倒だから、知りたい人はコチラを読んでみて。 少ないけど常用求人もあるようだ。 そういえば、この角地に無縁仏を慰霊する寿町供養塔というのがあったけど、どこに行っちゃったんだろう……。 帰宅してから調べてみたら、こうなっていた。 再び2階に戻って、寿町飲食店街を眺める。ここは日ノ出川を埋め立てた跡地である。それもいちばん最後まで残っていた部分だ。 昭和31年の空撮。赤丸部分が現在の寿飲食店街である。青丸は米軍の接収地。黄色丸は長者町にあった米軍のフライヤージム。横浜公園内に移設してきた。 そんな飲食街に、最近オープンして話題になっている大衆食堂「火成(かせい)」。 満員だったり、開店前だったりして、なかなか入れなかったのだが、この日は一番乗りで入店できた。 作治さんと一緒だったので、頼んだものは、もちろん、 ビールだ♪ そして中華そば! 背脂が混じった濃いめのスープ。柔らかな叉焼。たっぷりの青ネギ。ほどよい固さの麺。 店主もいい感じで、美味しいランチとなった。 参考:熱血ラーメン 参考:ことぶき協働スペース ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
行こうと思いながら、まだ未訪問です。
なかなか入りにくいですね。
しかも狭い。
6人ぐらいで満杯かな。
でも、行ってみてください。