昭和48年8月号には、中華街にやって来る紙芝居の話が出ていた。このおじさん(滝沢さん)は週2回、山下町公園に来ていたそうだ。 念のため『市民グラフ‣ヨコハマ」を調べてみたら、昭和47年(1972)12月号で「語り続けて35年・滝沢喜代之助さんの紙芝居人生」という記事があった。 月刊『中華街』はこれを参考にして書いていたのではないだろうか。 ←クリックして拡大 これは昭和53年(1978)に関内で撮影した紙芝居おじさん。滝沢さんではない。 場所は関内大通り。左の白っぽいビルは当時の中区役所だ。歩道の際を歩いている二人の男性の横に、古めかしいこげ茶色の柱が立っている。おそらくスクラッチタイルだったのではないかと思われるが、ここが入口だった。 私はこの区役所に入ったのは1回しかないので、うろ覚えだが…… 現在の姿。 この一画には横浜宝塚劇場(横宝)があったが昭和44年(1969)に営業終了。そこを横浜市が買い取り翌年、「横浜市民ホール」として再開した。 その後、施設が老朽化したことにより解体。隣接する(関内大通り側)中区役所の敷地と合わせて「市民文化会館関内ホール」に建て替えられた。 旧中区役所の入口ドアは、関内ホールの壁の一部として残されている。 月刊『中華街』の画面に戻ろう。 左ページは「更生堂薬局」の広告になっている。書いてあることがおもしろい。 ホテルニューグランドの社長・野村洋三は、なんと水虫だったという。そのため家伝薬 水虫専門薬の店「更生堂薬局」を利用していたという。 同薬局は「一楽」の横にある路地を挟んだ右側に今もある。「一楽」も「更生堂薬局」も老舗だ。 広告にあるように、「更生堂薬局」はこの年(昭和48年)当時で創業40余年というから、「一楽」と同じように昭和最初期から営業しているのだろう。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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