新型コロナが蔓延しているなか、「大鵬」はどうなっているのか、斥候として作治さんに偵察しにってもらった。現場からはアジフライの写真とともに、同店が無事に営業していることの報告があった。 それから数日後、作治さんから「大鵬に行こう」というお誘いがあり行ってきた。 お店に入る直前の電柱で、こんなプレートを見つけた。ここが「松屋」裏であることを示している。この近くで「松屋」といったら、伊勢佐木町2丁目のあの店かな。 でも、このような店がプレートに表示されるわけがない。ここで使われている「松屋」とは、デパートの「松屋」に違いない。 私が記憶しているのは、伊勢佐木町にあったのは「野沢屋」であり「野沢松坂屋」、「横浜松坂屋」だ。でも、もっと前には「松屋」だったから、そうとう昔の情報を受け継いでいるプレートのようだね。 こんな電柱を確認してから「大鵬」のドアを開けると、店内には作治さんがひとりだけ。当たり前だよね、開店時間の5時5分前だからね。 まずは生ビールで乾杯! お通しは肉じゃが♪ ここのお通しはどれも旨い。ちゃんと作っているのだ。中華街だとピーナッツなんかが出てくるけど、「大鵬」ではそんなことはない。 作治さんが斥候として偵察に行った時に食べていたアジフライが、やっぱり気になってまずは注文。 サクサクで美味しいよね。コロモ、揚げ方が先代譲りで間違いない。 続いて揚げ出し豆腐♪ これも、ここの定番だ。コロモの付け方がお上手~♪ 若い頃はもっともっと注文していたのだが、この日は高齢者が2人だったので、これ以上食えない……。 そしたら、そこにサービスで刺身が登場。昔から「大鵬」ではサービスということで、トンカツやトウモロコシ、刺身などをいただいてきたのだが、この辺は先代のやり方を継いでいるようだね。 8時ころ、呑んで食って腹いっぱいになって店を出た。 「大鵬」から伊勢佐木モールへ向かう途中。ここには昔、野沢屋の倉庫があったと思うのだが…… 10階建てのマンションができるみたい。 この風景も変わってしまうんだろうなぁ。 伊勢佐木モールに植わっていたカツラの樹。こんなことになっている……。 ここは水飲み場か噴水だったか……。思い出せない。 昔は立ち飲みの「鞍馬」があった路地。 ………。 むかし、「有隣堂」横の路地には靴磨きのお婆さんがいつも座っていた。「エイトセンター」の「美津の家」や「太平山」へ行く前に、ときどきここで靴を磨いてもらっていたことを思い出す。 靴磨き代金は、たしか500円だったと記憶している。細長い布で靴先をシュッシュと動かしながら、自分の過去を話してくれたことがあった。 もともとは暗闇坂の近くにあったお屋敷に住んでいたという。昔は親が事業で成功し、羽振りがよかったそうだ。その後のことは話してくれなかったけど、仕事が終わると「うちの者が車で迎えに来てくれるんだ」と言っていた。 数日後、「太平山」で呑んだ帰りにここを通りかかったら、お爺さんが靴磨き道具一式を台車に載せて運び出しているのを目撃。 お婆さんが「車」と言っていたのは「台車」のことだったのだ。 かなり高齢だったけど、こんな夜遅くまで靴磨きをしなければならない事情は何だったんだろうか。暗闇坂のお屋敷に住んでいたお嬢さんというイメージとは、ずいぶん落差があった。 それから時々、夜遅くまで吞んだ帰りには、お爺さんの台車を見かけるようになった。 そして、いつの間にか靴磨きのお婆さんを見ることはなくなった。 記事をアップしたあと、作治さんから靴磨きのお婆さんの写真が送られてきたので貼っておくね。自転車の向こうには雪が残っている。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
お迎え……ショートショートの結末みたいですね。
お二人はどんな人生をおくってこられたのか
知りたくなります。
知りたいです。
あの頃は毎日、吞んだくれていて、
たまにしか話を聴くことがなかったのが悔やまれます。
中華街の公衆トイレで寝泊まりしていた徳川さんも。
ゴミ屋敷に住んでいたお婆さんも。
有隣堂ヨコの靴磨き屋さんは
本文にあるお婆さんではなく
そのあと(?)のお爺さんの姿がなんなとく記憶にあるかも。。。です
この手の自販機は駐車場の傍にあるので、
何かの開発時に消えてしまうのでしょうかね。