以前の記事で「永楽軒」のことを書いたが、その場所がどこだったのかは追加調査をしないまま時間が経過してしまった。ところが先日、まったく別件で「ある店」のことを調べていて、偶然、「永楽軒」の住所が判明したのでここに載せておこうと思う。 それは国立国会図書館デジタルアーカイブで横浜市商工案内昭和5年版を閲覧していたときに見つけた。そこに広告が出ていたのである。 住所は山下町80番だった。 現在の南門通りシルクロード、チャイハネの「ChaiTeaCafe」のあたりだ。 ここでもう一度、前回の記事に載せた電話番号簿の広告(昭和9年)を見てみよう。 住所は書いていないが「南京街通り」となっている。これを見たときは、てっきり現在の中華街大通りかと思ってしまったが、実はそうではなかったことが今回分かった。 この町はもともと、南門通りを中心に店が増えていったという経緯があるので、昭和の初期にはまだ、この通りをこう呼んでいたのかもしれない。 「永楽軒」の広告を見ていたら、すぐ横にこんなのが掲載されていた。 「横浜植木」だ。 こちらは写真付きなので、その部分を拡大してみた。 立派な社屋だったんだねぇ。 この近くに吉川英治が住んでいたそうだが、それはともかく、のちに「平安楼」の経営者が「横浜植木」の社長になったことを思い出した。 両社にどんな関係があるのかは不明だが、気になっているのでいつかもう少し調べてみたいと考えている。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
望雲ってどこなのでしょう。
雲を望むのだから高知なのかなあ。
図書館に「横浜植木株式会社100年史」というのがあるのですが、
まだ読んでいません。
会社のHP上にも朝鮮のことはアップされていませんね。
韓国の地図を調べたら、この場所のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%99%E5%AE%89%E9%83%A1
HPを見ると、
昭和20年3月 戸塚試作場、噴霧機工場を軍の斡旋により譲渡…
とあります。
兵器として転用できるものを造っていたようです。
横浜の電話局番、二けたから三桁になったのは、
昭和30年代でした。
私の記憶ではなく、どこかの資料で知ったのですが。