昨年11月、横浜市営バス99系統が廃止された。この路線は過去に2回、ルートが変更され、そのたびに利用者が喜んだり怒ったりしてきたという歴史がある。 黄色い線がもともとの経路である。本牧方面から来たバスは元町を経由し、西の橋を渡って直進。そのまま中華街西門前から横浜市庁舎前を経て、尾上町、桜木町駅前へと進んでいた。 その頃、中保健所は堀川沿いにあったのだが、99系統はそこを通らなかったため、多くの市民から「保健所前を通るようにしてほしい」という声があがっていた。それは当然な要望であったと思う。保健所に用があるのは、妊婦さん、歩行に問題のある高齢者・障がい者など、すぐそばまでバスで訪れたい人たちが多かったからだ。 しかし、当時の〇〇市政のもと、ルートの変更はなされないまま過ぎていった。 その状況が変わったのは2004年だった。みなとみらい線開業に伴い、経路変更が行われたのだ。その新しいルートが地図上の赤い線である。このとき「中保健所前」(中福祉保健センター前だったかな? あるいは中区分庁舎前だったか?)に止まるようになったのである。保健所利用者は大いに喜んだと思う。 だが、このルート変更は利用者の便宜を図るためではなく、みなとみらい線の乗客を吸収するためのものだったと言われている。この年、東横線(よこはま・桜木町間)が廃止され、みなとみらい線に「元町中華街駅」が誕生したからだ。 おそらく、東京方面で働いているサラリーマンがMM線を利用して「元町中華街駅」まで来たら、そこから99系統に乗って本牧方面へ帰宅する、そんな人の流れを予測していたのだと思う。 ところが、MM線=99系統の乗り換え客は思惑どおりには増えなかった。その結果、2007年4月1日に従来の路線(黄色い線)に戻されてしまったのだ。 そして2020年11月4日のダイヤ改正で、99系統は消えた。 あの頃だったと思うが、130系統、131系統という都心循環バス(Yループ)も保健所の前を通っていたのを思い出した。 さて、この中保健所だが、建物は残されて東京芸大映像科の校舎として使われているようだ。保健所の組織も再編され、現在は福祉保健センターの名前で、中区役所の隣(旧労働基準監督署)で営業(?)している。 いま、新型コロナで保健所は大変な状況になっているというニュースを毎日のように見るが、「横浜市保健所」って、どこにあるんだろうか。そして横浜市保健所長はどこにいるのか。 これを眺めても、いまいち理解できないのは、自分がボケてきたからなのかなぁ。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
町が無いのは、何かショックでした。…寂しかったな!…こんにちはこれが、地元の方だったら、もっと、もっと、寂寥感でいっぱいになるよね。しかし…中華街が近くなったのは…嘘みたいで、嬉かった…💕。…(ミナトミライセン…タカイネ~💦)。保健所…保険福祉局というのは、私もあまり馴染みがなくて、判らないです。各区役所の横にあるやつで良いんだよね?…それとも、横浜保険福祉本局…みたいのがあるの?
今じゃ考えられません。
中保健所も食品衛生の更新でお世話になりました。
職員に依って冷蔵庫の温度計が小さいとか、細かくクレーム付ける職員が居ました。
確かに渋谷、新宿に行くのが便利になりましたよね。
MM線は不便で仕方ありません。
私にとっては、要らない線です。
東横線が懐かしい…
昭和39年までは、桜木町駅から徒歩か、市電だったのではないでしょうかね。
やがて根岸線ができて石川町駅~西門というルートができました。
これがいちばんいいです。
みなとみらい線は止まる駅が中途半端ですね。横浜駅
高島駅、馬車道駅、根岸線と比べると遠回りに成ります。日本大通りは便利でした🙇♀️
みなとみらい線中華街駅OPEN記念パレードに、発展会の役員に頼まれて、中国の衣装を着てパレードに駆り出されました。汗) (謎の中国人)山下公園から
元町商店街を通って、中華街に入りましたよ。
中華街のパレードが初めて発展会、元町SS会の共同で
パレードしました。
中華街の獅子舞、龍が初めて元町商店街を練り歩いて当時話題に!
石川町駅の横はどぶ川でした。
廃船も多かったです。
駅も、今みたいな便利な出口がなかった。
遠回りをして中華街に向かったものです。
「中華街の獅子舞、龍が初めて元町商店街を練り歩いて」
そうだったんですか。初めてだったんだぁ。
元町中華街駅OPENの日は近くにいたはずなのに、
写真が見当たりません。
どうしたのかなぁ…