![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/49/3329166dc75f325208ef457a7ab0101e.jpg)
昭和5年の地図。横浜市役所のある一画が描かれている。その中に中区役所も。 横浜市に区制が敷かれたのは昭和2年だったが、当時は区庁舎もないのに新制度を始めてしまったため、昭和5年になってもまだ市役所に仮住まいのままだった。 隣のブロックには魚市場があった。この記念碑が市庁舎の関内駅南口側に設置されていたが、現在進められている工事でどうなっているのか不明。フェンスがあるため内部が見えないからなぁ……。 地図の下部には派大岡川が描かれている。この川があったから魚市場が成り立っていたのだろう。 その岸辺に小さな建物がある。読みにくいが、拡大してみたら「木更津行汽船発着所」の文字が。横浜と千葉のつながりを思わせるものが、ここにもあった。 さらに隣のブロックの角を見ると「劇場事務所」なんていうのが見える。この辺には映画館も劇場もなかったのだが……。伊勢佐木町か馬車道あたりの劇場の事務所だったのかな。 当時は町境のラインが道路ではなく、ブロックの真ん中に入っていたことも分かる。市役所は3分の2くらいが港町で、残りが真砂町に入っていた。多いほうが市役所の住所になっていたのだろうか。それとも玄関のある場所が住所になるのか。あるいは市長室の位置で決まったのか、また謎が増えてしまった。 ![]() |
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