また、今年も5月29日がやってきた。 5月29日。 私の誕生日…ではない。 昭和20年のこの日、横浜の中心部がアメリカ軍の大空襲によって壊滅したのだ。 5月29日というこの日は、開港記念日(6月2日)に近いことから、お祭り騒ぎに隠れて、どうも影が薄くなっているようだが、横浜の子どもたちに対して、小学校の授業などではちゃんと教えているのだろうか。 ためしに、近所の小中学生数名に聞いてみたら、ほとんどが知らなかった。 これではまずいよなぁ。 150年前のこと、ペリーが来たことや、開港のことは授業で取り上げているようだが、60数年前に横浜市民が体験した悲惨な出来事を、なぜ小学校で教えていないのだろうか。 いや、それとも私が聞いた小学生が覚えていないだけのことなのかなぁ。 横浜大空襲のことは、昨年の5月29日の記事に書いてあるので、それを参考にしていただくとして、今日は戦前・戦中の史跡ともいえるレトロ物件をご紹介しよう。 冒頭に掲げた写真は「防火用水」。文字が右から左に向かって書いてあるので、かなり歴史ある物件なのだろう。 かつてはコンクリート製ゴミ箱と同様、各家庭に一槽ぐらいはあった防火用水。しかし、大量にばら撒かれた焼夷弾による火災に対し、こんな容量の水で足りるはずがなかった。 中区麦田町で見かけたこの防火用水。よくよく観察すると、こんなプレートが貼ってあった。 都会でも、古くからある下町などでは、防火用水が植木鉢に転用されていたりすることも多いようだが、ここのはフタがされたまま、何も利用されず、おそらく60数年間、じ~っと佇んできたような感じである。 これは中区上野町で見かけた古いポール。 しっかりしたコンクリート製の台座があり、しかも3方を手摺状のパイプで囲まれている。 鯉のぼりの柱なんかではなさそう。 昔から大事にされている、由緒あるポールのようだ。おそらく国旗掲揚塔なんだろうね。 台座を見るとこんなプレートが貼ってあった。 皇紀2600年記念。 昭和15年(1940年)の祝賀で建てたものだろう。それにしても、よく残してきたものだと思う。町内会のおかげかなぁ。 今回ご紹介した物件は戦跡というわけではないが、戦時中の生活を物語る貴重なもの。 現代に残る大空襲の痕跡を見たいという方には、こちらのサイトがお勧めだ。 また、今日からこんなイベントもやっているので、お時間のある方は出かけてみたらどうだろうか。 「栄楽園」のチャーシュー丼とセットでね。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
私もすっかり横浜大空襲のことを忘れてしまっていました。
たまには思い出したり資料を紐解き、失われたものを考えることは大切ですね。
ここをご存知とは!
嬉しいです。
このあたり、懐かしいものが多いですよね。
> 5月29日。
> 私の誕生日…ではない。
が、ワシの誕生日です。
ちなみに横浜市内の小学校であっても大空襲の教育は一切しませんね…昔から…
その話をすれば、太平洋戦争の是非を論じないといけませんから、教育委員会&学校が全て避けて通るのでしょう。
ワシらの頃は中学はおろか、高校の日本史だって先生が意図的にしか思えないように戦中~戦後の話は飛ばしていたと記憶しています。
この日が、貴殿のお誕生日でしたか。
偶然ですね。
私自身も、うちの子供もそうだったのですが、日本史の授業は古墳時代の話から始めて、幕末・明治初期で時間切れとなり終わってしまうと言うパターンが多いようです。