アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

「ミン ウォン:ライフ オブ イミテーション」展(3)真打ち登場!

2011-07-01 | 東南アジア映画

さて、いよいよこの展覧会の中心となる、ミン ウォンのビデオインスタレーションの登場です。それと関連して、シンガポール最後の映画看板絵師ネオ チョン テク氏の看板絵が展示されています。最初の展示室では、下のポスターを描くネオ チョン テクの様子を記録したドキュメンタリービデオ(監督シャーマン オン。その他のドキュメンタリービデオも彼が監督)も見られます。コロンブスの卵的テクニックが使われていて、ちょっとびっくりでした。

<ネオ チョン テク(デザイン:ミン ウォン)「Four Malay Stories」 カンヴァスにアクリル 2009年>

原美術館1階の<CINEMA 1>で上映されているのがこの「フォー マレー ストーリーズ」で、4本のマレー語映画を取り上げたものです。マレー語映画は1972年までシンガポールで製作される一方、1960年からはマレーシアのクアラ・ルンプルでも製作が始まり、1965年にマレーシアとシンガポールが分離してからはマレーシアに主力が移りました。シンガポール時代の主な映画会社は、ショウ・ブラザーズが設立したマレー・フィルム・プロダクション(MFP)、ショウ・ブラザーズと覇を競ったキャセイが設立したキャセイ・クリス、クアラ・ルンプルに移ってからはムルデカ・スタジオ(”ムルデカ”は”独立”の意味)となりますが、ここではMFPとムルデカ・スタジオの作品が取り上げられています。いずれも、P.ラムリー監督・主演作です。

P.ラムリー(1929-1973)はマレーシアのペナン出身で、音楽バンドで活動したあと1948年に脇役俳優兼吹き替え歌手としてデビュー。マラッカ王国時代の英雄ハン・トゥアを描いた『ハン・トゥア』 (1956)で人気が出、以後俳優、監督、作曲家、歌手として活躍し、1950~60年代のマレー語映画黄金時代の柱となった人です。映画の中では彼の甘い歌声も聞け、現在でもそのファンが多いためCDの新装版が絶えずリリースされています。クアラ・ルンプルとペナンに記念館があり、写真や遺品を見ることができますが、サイバー・ミュージアムもありますので、興味のある方はこちらをどうぞ。

ミン ウォンが取り上げた作品は以下の通りです。

1.『スメラ・パディ』 (1956年/MFP/原題:Semerah Padi)(写真はVCDカバー)

【ストーリー】伝統を守るスメラ・パディ村には、若き勇士のアドゥカ(P.ラムリー)とタルナ(ノルディン・アフマド)がいた。アドゥカと村長の娘ダラ(サーディア)は密かに想い合っていたが、タルナの両親が村長に息子とダラの結婚を申し込んだため、何も知らない村長は喜んでその申し出を受けた。ところが、結婚前タルナがスルタンに命じられて海の警備に赴いている間に、ダラが誘拐されてしまう。アドゥカはダラを助け出したが、雨に降り込められて村に帰れず、ダラに迫られるままに関係を持ってしまった。親友を裏切り、村の掟を破ったとアドゥカは死を覚悟し、村長は村の掟に従ってアドゥカとダラをムチ打ちの刑に処する。こうして償いをした2人に、タルナは自ら身を引くことを告げ、2人の結婚式が執り行われたのだった。

上の看板絵では、左側の絵が死を覚悟したアドゥカです。ミン ウォンはこのアドゥカのほか、タルナ、村長、ダラを演じます。

<ミン ウォン「Four Malay Stories」 ビデオ オーディオ インスタレーション 2005 年>

ミン ウォンのパフォーマンスは元の映像を知らなくてもインパクトがあるものですが、元の映像を見ておきたい方のためにYouTubeのアドレスを付けておきます。最初からご覧になりたい方はこちら(英語字幕付き)、クライマックスシーンの映像はこちら

2.『わが義母』 (1962年/MFP/原題:Ibu Mertuaku)(下のポスターはWikiの紹介サイトより)

【ストーリー】無名のサックス奏者カシム(P.ラムリー)に恋したサブリア(サリマ)は、大金持ちの未亡人の一人娘だった。母はサブリアを眼科医と結婚させようと思っていたが、サブリアがカシムと結婚したいと打ち明けると、「ミュージシャンと結婚だなんて! お前には一銭もやらないから」と彼女を勘当してしまう。サブリアとカシムはシンガポールからペナンへと駆け落ちし、音楽を捨てて生活することで母に認めてもらおうとする。だが、貧乏に耐えられなくなったサブリアは、妊娠したこともあって、迎えに来た母と共にシンガポールに戻ってしまった。数ヶ月経ち、カシムの元には「サブリアは出産時に亡くなった」という義母からの電報が。、悲しみのあまり泣き暮らしたカシムは目が見えなくなってしまい、ある中年女性とその一家に助けられる。その家の娘チョンビ(ザイトン)に励まされ、カシムは再びサックスを吹くようになり、たちまち有名になった。一方男の子を出産したサブリアは、お前はカシムに捨てられたのだと母から言われ、それを信じてカシムと離婚、眼科医と再婚してしまう。やさしい眼科医のもとで幸せに暮らしていたサブリアは、ある日有名になった盲目のカシムと再会する。皮肉にもカシムの目の手術を夫が行うことになり、手術は成功した。サブリアを見て驚くカシムに、眼科医は彼女はそっくりの別人だと告げるが、疑ったカシムは義母のもとを訪れて激しく問いつめる...。

上の看板絵では、右側の3人が『わが義母』の登場人物です。強権的な義母、サックスを吹くカシム、そしてやっと目が見えるようになったというのに、最後にその目をまた自らフォークで傷つけて血だらけになるカシムが描かれています。YouTubeで作品を見る場合はこちら(英語字幕付き)。ラストの凄惨なシーンはこちら。ミン ウォンはカシム、サブリアそして義母を演じます。

ミン ウォンは、「この作品はアジア太平洋映画祭で賞を獲ったこともあって選んだんだ」と言っていましたが、調べてみると1963年に東京で開催された映画祭で、モノクロ映画撮影賞と共に、P.ラムリーがこの映画で「多方面天才演員賞」(中国語の資料、魯風「變化多端的亞洲影展」1980による)を獲っています。この資料では中国語訳題名は『我的岳母』になっていますが、ショウ・ブラザーズの雑誌「南國電影」に載った別の訳名による紹介記事(コピー)の一部を付けておきます。

3.『ラブとラビ』 (1962年/MFP/原題:Labu Dan Labi)(下のポスターはWikiの紹介サイトより)

【ストーリー】ラブ(M.ザイン)とラビ(P.ラムリー)はハジ・バキル家の使用人。料理を作ったり、ご主人の運転手をやったりと忙しい。一家はハジ・バキル夫妻と一人娘(マリアニ)の3人家族で、ラブとラビは美人の一人娘が憧れのまと。仕事が終わって寝る時になると、ラブとラビは空想を働かせ、時には大金持ちになってナイトクラブに行き美女をくどいたり、マレーのターザンと猿のチータになってみたり、西部劇のガンマンと保安官になってみたりする。ついにはどちらが一人娘と結婚するかで、マレーの伝統魔術を使った闘いにまで発展、大騒ぎとなるが、すべては夢で、ご主人に水をぶっかけられて現実に戻る2人だった....。

この映画のキャラは看板絵には登場していませんが、ミン ウォンはラブ、ラビ、そして2人が取り合いをする美女を演じています。「この映画は主人公たちが空想の世界へ行って別人になるだろ? だから選んだんだ。ラブが背広を着込んで、言い慣れない英語を使って美人に取り入ろうとする所など面白いよ」とはミン ウォンの弁です。

<ミン ウォン「Four Malay Stories」 ビデオ オーディオ インスタレーション 2005 年>

元の映像を見てみたい方はこちら(英語字幕付き)。ラブが美人に迫るパートはこちら。このコメディは気楽に見られますので、ぜひ全編をどうぞ。ラムリーの妻で歌手のサロマや、アジズ・サッタル(別の3人組シリーズでP.ラムリーと組んでいる人気コメディ男優)も特別出演しています。

4.『ルシュディ医師』 (1970年/Merdeka Studio/原題:Dr. Rushdi)(写真はVCDカバー)

 

【ストーリー】ルシュディ医師(P.ラムリー)は勤勉で、患者がいればいつまでも診察をしているというハードワーカー。美人の妻マリアナ(ソフィア・イブラヒム)は、夫が自分をないがしろにしていると不満を抱く。そんなマリアナの前に若い男が現れ、たちまち彼女は若い男の手管に参ってしまう。一方ルシュディも、クリニックの秘書ムリアニ(サリマ)のやさしさに癒され、いつしか彼女と想い合うようになってしまった。その不倫が暴かれ、ルシュディは窮地に陥る。そんな時、ルシュディの親友がひっそりと亡くなり、ルシュディに家を遺贈するという遺書がみつかった。これは好機とばかりルシュディは、亡くなった親友を自分に見せかけて、遺体を乗せた自動車を崖から落とし、自分が死亡したことにしてしまう。さらに自分の遺言を書き換え、ムリアニを生命保険金の受取人にして大金をせしめることに成功した。こうして世間から隠れて、ルシュディとムリアニは暮らし始める。一方妻マリアナは、金の切れ目が縁の切れ目とばかり若い男に捨てられてしまった。だが、隠遁生活に満足できないムリアニは、ナイトクラブで歌手として働くようになり、ある若い男から迫られる。その男こそ、ルシュディの妻を陥れたあの男だった。彼はルシュディが生きているのを突きとめ、大金をゆすり取ろうとする。ひとつ罪を犯したばかりに、ルシュディはどんどん追いつめられていくのだが.....。

看板絵では、上部真ん中に、ラストシーン近くでルシュディが元の妻を殺そうとするシーンが描かれています。この映画はP.ラムリー作品にしてはかなり特殊で、冒頭からルシュディ医師の診察シーンで背中だけとはいえ女性の部分ヌードが登場したり、看板絵に描かれたシーンでは下着姿もあらわな妻が登場したり、さらに主人公が不倫、殺人などを犯すという、ラムリー映画の中でも特異な作品となっています。そういった点がミン ウォンを惹きつけたようです。ミン ウォンはルシュディ医師や妻を演じていますが、彼の演じる女性の肉体からは奇妙な不道徳性とエロスが醸し出されていて面白いです。

<ミン ウォン「Four Malay Stories」 ビデオ オーディオ インスタレーション 2005 年>

英語字幕がない映像ですが、YouTubeにアップされている映画はこちら。衝撃のラストシーンはこちら

ミン ウォンのパフォーマンスは、映画の真似をするだけではなく、そこに潜むものを彼の肉体と装いによって暴き出し、我々の目の前にさらけ出して見せてくれます。展示では、4つの作品が2つずつ白い壁に照射され、さらに観る者の思考を混乱させます。ミン ウォン・ワールド、絡め取られるとかなり危険かも知れません。

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<ネオ チョン テク(デザイン:ミン ウォン)「In Love For The Mood」 カンヴァスにアクリル 2009年>

さてさて、とんでもなく長くなり、2階の展示は詳しくご紹介する余裕がなくなりました。香港映画好きの皆さん、ごめんなさい。王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『花様年華』 (2000)は「華様年花」に変身し、階段に展示された看板絵(上)と、<CINEMA 2>の3台のモニターによる落差上映で、別世界に我々を誘ってくれます。モニターの字幕がフランス語(多分)、イタリア語、英語、簡体字の広東語(!)と異なっており、微妙に映像がずれるのは、一体何を意味しているのでしょうか。

<ミン ウォン「In Love For The Mood」 ビデオ オーディオ インスタレーション 2009年>

隣のホールでは、「ライフ オブ イミテーション」の展示も待っています。この作品の元となった『悲しみは空の彼方に』 (1959/原題:Imitation of Life)もこちらで見られますので、下調べにどうぞ。サンドラ・ディーやトロイ・ドナヒュー(トンデモナイ役です...)も出ています。

では、たっぷり時間を取ってお出かけになり、この不思議なアジア映画ミン ウォン迷宮で思う存分遊んで下さいね。私ももう一度、迷い込みに行こうと思っています。

 

※<>内のクレジットのある画像は、すべて原美術館よりご提供いただいたものです。無断ダウンロードはご遠慮下さいね。この展覧会をご紹介いただける方で、画像が必要な方は下記原美術館広報までご連絡下さい。

E-mail: press@haramuseum.or.jp

 


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6 コメント

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1963年のアジア映画祭 (せんきち)
2011-07-01 21:53:42
こんにちは。
1963年のアジア映画祭のニュース映画にP.ラムリーみたいな人が出てきておでんを食べながら「おいしいです!」と言っていたのですが、やっぱりP.ラムリーだったんですね。
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せんきち様 (cinetama)
2011-07-01 23:41:16
コメント、ありがとうごさいます。

1963年のアジア映画祭のニュース映画って、そんな貴重なものがあるんですか? どこでご覧になったのでしょう?
KLにあるラムリーの記念館に、アジア映画祭で勝新太郎と写っている写真が展示されているのですが、それも1963年のものかも知れませんね。

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アジア映画祭のニュース映画 (せんきち)
2011-07-02 18:14:00
再びこんにちは。
ニュース映画、横浜の放送ライブラリーで観ました。
以前書いたルポがあるので、ご笑覧下されば幸いです。
http://www.geocities.jp/haosenkichi/teien3.html
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2年前に見てました (アハマド)
2011-07-02 19:58:56
やっぱり2009年のジャカルタ・ビエンナーレでミン・ウォン作品を見てました。ただ他の作家の展示の方が面白かったからか、情けないことにビデオインスタレーションはほとんど覚えていないのです。ポスターははっきり覚えているのですが。もったいないことをしました。

毎日新聞の紀平さんの記事によれば、会場はかなり盛況なようですね。これを機会にP・ラムリー作品が日本でもっと見直されることを期待してます。

ところで、P・ラムリー作品のDVDというのはあるのでしょうか?以前ネットで検索した時はVCDしか見つからず、シンガポールのムスタファでも同様でした。できればデジタルリマスターでDVDで再発売してもらいたいですね。
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せんきち様 (cinetama)
2011-07-02 23:39:02
貴重な情報、ありがとうごさいます! 早速ルポの方も拝見しました。これを持って、夏休みに放送ライブラリーに行ってみたいと思います。

以前、この映画祭の資料(受賞一覧等)を作り始めたことがあったのですが、本を書き上げたあと途中で挫折。中国語資料しかなく、英語資料がなかったのが敗因でした。TIFFの石坂健治さんも調べていらしたように記憶していますが、日本映画大学で科研費でも獲得して調査プロジェクトを立ち上げて下さらないかしら....。ここ10数年、喉に刺さった小骨のような存在のアジア映画祭です。
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アハマド様 (cinetama)
2011-07-02 23:50:00
再度のコメント、ありがとうごさいました。

(2)に付けたサイトを見ていただくとおわかりのように、ミン ウォンは欧米やアジア各地で個展やグループ展を多数行っているようです。ジャカルタでの展示は今回の内容とは異なっていたのかも知れないので、この展示がまた巡回する可能性もありますね。

なお、ミン ウォンのビデオ オーディオ インスタレーションの作品は、結構YouTubeで見られます。ご自身でアップしているようで、今回の作品も、ちょっとヴァージョンが違うのですが見られたりします。お時間のある時にいろいろ探して見てみて下さいね。
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