「美術館、行きた〜い♪」
この1年半というもの、足が遠のいてしまっている場所というのが
カウントできないくらいたくさんあるのだが、
それでもなんとか、何度かは行けているのが美術館。
こちらの感覚としては「ものすごくガマンしてる」のが実感だけど。
ようやく例の宣言が解除されたことでもあるし、
まずは近所の美術館にご挨拶、行っておきますか♪
長く続いた例の宣言。
それが発せられる前に行った柿内青葉展以来になる、女子美美術館へと足を運んだ。
今回のテーマは「舞楽装束」。
女子美所蔵のコレクションなのだそうだが、
見る前になんとなく想像していたことと、見たあとに広がる現実の感覚とが
これほどまでに違った展示もない。
「なんとなく」が「見たことある」に変わると、これはもう別次元の話になるな。
見に行けて、本当によかった。
関東で暮らしている僕らには、舞楽に接するチャンスは関西に比べると極端に少ない。
知識として、それなりに知っていたとしても、現実の風景としてはなかなか縁遠い。。。
でも、連綿と続いてきている伝統の舞が、往時にあっては
華々しくも切実な祈りのカタチであったことは想像に難くない。
女子美のコレクションは、具体的な衣装そのものに関心が集中しているのは当然なのだが、
高舞台がドーンと展示室の中央に設置され、衣装を身に纏ったマネキンが
バッチリとポーズを決めていたりして。
展示では文字通り、立体的な再現が相当な努力でもってなされていた。
染織や刺繍による文様、銀細工などの装飾、あるいは舞台衣装としての個別の性格など、
そういうマテリアルな部分への関心は、緻密な手仕事を想像させるのに十分な質だし、
そうは言ってもひとつのイベント的要素が濃い舞の衣装ということもあって、
耐久性などは犠牲にされているきらいも見えた。
展示の衣装や裂(きれ)などは、室町〜江戸のものがほとんどなのだけど、
総じてボロボロの一歩手前。
キレイなものは、緻密な修復を施されている。
一方で、舞楽にも「国風(国ぶり)」というひとつの流れがあることもここで知った。
聖徳太子が秦河勝に云々のくだりは、舞楽全般に及ぶ話として聞いてはいたけど、
そういった舞楽、雅楽が劇的に発展するのは平安の頃になる。
そこにおいて、舞の世界にも国風という流れが発生していたのは、
考えれば自然なのだけど、実際の衣装を眺めればこれは歴然。
なるほど!と。
想像以上の展示で、ついつい長居をした。
せっかくだし、今度、舞楽を実際に見てみようか!という話をしてみた。
チャンスは少ないが、神奈川には鶴岡八幡宮がある。
秋のお祭りには間に合っているはず。
「それも良いけど、わたしは久しぶりに能をみたくなっちゃったな♪
っていうか、能の方が好きかも♪」
うーむ(。・ω・。)
そんなこと言われると、もともと能好きな僕としては、賛成しかできないではないか(^o^;)
女子美の展示はまだはじまったばかり。
なにかをつかまえたあとに、もう一度、展示を眺めることができれば、
また見えてくることが違ってくるかも知れないよ♪