リヒャルト・ワーグナーという名前に現在どれだけの人たちが反応するのかはわからないけれど、個人的にこの名前は超特別だったりする。
もっとも、「ワーグナーが好き」ということと、「個人的」っていう言葉の響きはどこまでも不似合いな気もする。
たいていの「個人的趣味」というのは、どこかに必ずいるであろう「同好の士」を捨象しているからこそ成り立つ、きわめて独善的な言葉。
見えていないから成り立つ。
マーケットとして成り立つほど、ひとつのジャンルとして成立するほど、幅広く受け入れられているはずの広大な領域なのに、これを「個人的」「趣味」と呼んでしまう不思議。。。
音楽に限らず「芸術」には人をそういうところに誘い込む力はあるのかもしれない。
まったくの「個人的」「音楽」が成立する瞬間というのは、本当のところ、どこまでも遠い夢の話のような。。。
来年はワーグナーの生誕210年、没後140年ということで、ちょっとしたアニバーサリーイヤーを迎える。
これを先に知っておいて本当によかった。
好きなものからの不意打ちはダメージが思うよりも深くなったりするので(^o^;)
用心しておく必要がありますな( ・ิω・ิ)b
(えっ。。。(・o・)?
そんなの僕だけ(・o・)?)
ところで。
あんまり話題にもなっていないようなのだけど、今年はなんとなくグレン・グールドのアニバーサリーイヤーでもある。
グールドについては、これはもう習慣的というか、ルーティンワークのごとく聴き続けてきたわけだが。。。
青春の思い出とともに鳴り響いてしまう音楽には、良いことも、そうでないこともいっぺんに思い出させる力があるので、僕としては扱いに慎重にはなってしまうのであります(^o^;)
グールドとワーグナーの親和性については、これまた別の話ではあるけれど(^ω^ゞ
もっとも、「ワーグナーが好き」ということと、「個人的」っていう言葉の響きはどこまでも不似合いな気もする。
たいていの「個人的趣味」というのは、どこかに必ずいるであろう「同好の士」を捨象しているからこそ成り立つ、きわめて独善的な言葉。
見えていないから成り立つ。
マーケットとして成り立つほど、ひとつのジャンルとして成立するほど、幅広く受け入れられているはずの広大な領域なのに、これを「個人的」「趣味」と呼んでしまう不思議。。。
音楽に限らず「芸術」には人をそういうところに誘い込む力はあるのかもしれない。
まったくの「個人的」「音楽」が成立する瞬間というのは、本当のところ、どこまでも遠い夢の話のような。。。
来年はワーグナーの生誕210年、没後140年ということで、ちょっとしたアニバーサリーイヤーを迎える。
これを先に知っておいて本当によかった。
好きなものからの不意打ちはダメージが思うよりも深くなったりするので(^o^;)
用心しておく必要がありますな( ・ิω・ิ)b
(えっ。。。(・o・)?
そんなの僕だけ(・o・)?)
ところで。
あんまり話題にもなっていないようなのだけど、今年はなんとなくグレン・グールドのアニバーサリーイヤーでもある。
グールドについては、これはもう習慣的というか、ルーティンワークのごとく聴き続けてきたわけだが。。。
青春の思い出とともに鳴り響いてしまう音楽には、良いことも、そうでないこともいっぺんに思い出させる力があるので、僕としては扱いに慎重にはなってしまうのであります(^o^;)
グールドとワーグナーの親和性については、これまた別の話ではあるけれど(^ω^ゞ