りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

イメージの「お狐様」(*‘ω‘ *)

2023-09-02 21:54:15 |  日 記 
「稲荷」は「稲成」に通ず。
そして「お狐様」は「稲荷神」に成り代わり、春に山からやってきて、秋の収穫までを見守り、冬は山に帰っていく。
いちおう僕は「お稲荷さん」をそういう存在として理解している。
しかしながら( ・ิω・ิ)b
ちょっとした疑問が頭をもたげてくる。
「稲荷神社」とほとんど同じようなカタチで里を見守ってきた「山の神」=「大山祗命」をお祀りする神社が日本全国にあまねく存在している。
「山神社」が足りない、っていうことはないと思うのだけど、それに倍する(倍では済まない?)圧倒的な数の「稲荷神社」が今尚存在していることを考えると、これがどうしても不思議でならない。
もっとも、何重にも守りが重ねられている、そのこと自体を不思議に思うことはない。そこはかとなく「日本らしい」護りのカタチだ。だが、その理由は謎めいている。
僕としてはこの種の疑問が尽きないのだが、わかりやすい、合理的な説明というのに、今の今までお目にかかったことがない(*‘ω‘ *)
誰にお尋ねしたら、納得のいく回答を得られるのだろうか?
まずはそこからして、わかっていない(^o^;)

と言いつつも、僕らは「お稲荷さん」を「知らない」とは言えない。
「稲荷神社」のある風景はもはや日本的自然と化している。
「稲荷神社」をお護りする「お狐様」についても同様( ・ิω・ิ)b
日本的風景の自然、その一部として堂々たる存在感を示している。
今一度、自分の感覚を振り返ってみる。
動物の「キツネ」について、僕は自分でも呆れるほど何も知らない(^o^;)
なのに「お稲荷さん」の御眷属である「お狐様」については、むしろよく知っていると言いたくなるくらい(^o^;)
あまりにも身近な存在でいらっしゃる(*‘ω‘ *)
ずっと身近にいらっしゃるし、本当にそれだけで、すでにして十分、だと思う。
が( ・ิω・ิ)b
眼の前に存在していて、なお鮮やかなあれやこれやについて、決定的なことを言えない。
わからないこと、わからない「概念」に囲まれて生活している。そして、ずっと昔から言われていることを「そういうもんだよね。」として伝える。
やや大げさに言えば、これだって、ある種の「日本的なるもの」を長らく「日本的」足らしめていることには違いない(^o^;)

日本全国、津々浦々、あまねく存在している「稲荷神社」。
各所様々に神社は存在し、その起源はそれぞれに謎に満ちているのだが、そうした存在のスキマを縫うように?いや、さらにその上から日本を覆うようにして拡がった「稲荷信仰」。
「お稲荷さん」のオリジン、縁起も謎に満ちているが、それにも増して、その圧倒的な数は不思議を通り越している(・o・)!
「お稲荷さんインフレ」はいかなる理由で引き起こされたのか?
その正体はともかく、ムーブメントは江戸時代にあった。これだけはわかっている。

「稲荷寿司」が巷に出回るようになったのが文化文政、1800年頃から以降のことだとして。
「油揚げ」と「寿司」が「稲荷神社」の「お狐様」に結びつくのにどれほどの時間がかかったのだろうか?
そもそも、アイコンとしての「お狐様」はいつ頃登場したのか?
これも、その起源は明確ではないものの、知りうる限りの情報としては、1762年に奉納された吹上稲荷神社の狛犬がもっとも古いものらしい。
宝暦明和の頃。ここで田沼意次という名前を思い浮かべるのは正しい連想な気がする。

あくまでも仮に。
世に「稲荷神社」と「お狐様」の結びつきを狛犬として明らかにした最初がこの吹上稲荷神社であると仮定して。
そこから「稲荷寿司」が出現するまでに40年から50年ほどかかっている。
だいたいこのあたりに「稲荷神社インフレ」があったとしても、それほど違っていないように思うのだけど。。。実際はどうかな?
少なくとも、「お狐様」のイメージが過剰なまでに「稲荷神社」をあらわすようになったのは、この時代以降のことと見積もってよいのではないかと。
意外なほど「新しい」と僕には思われるのだが。
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