りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「お稲荷さん」(*‘ω‘ *)♪

2023-09-02 15:52:23 |  日 記 
この頃、わりと食卓にのぼる「稲荷寿司」(*‘ω‘ *)
手軽ということはあるのだが、連日の猛暑ということもあって、今年は実に様々なお惣菜を買ってきてはお家でいただくことが重なった。
つくるのがめんどくさいと思ったことはないのだけど、こんな猛暑の中でさらに熱を足すようなことは、わざわざしたくないとは思う(^o^;)
いろんなお惣菜をそれこそ毎日買ってくるわけだが、それもひと月、ふた月と長く続くと、いろいろ飽きも来る(^o^;)
そんな中で、「お稲荷さん」「稲荷寿司」は、わが家において絶対的な支持を集めた。
2人しかいないけど(^ω^ゞ
この夏は「稲荷寿司」に大変にお世話になりましたm(_ _)m

「それにしても、なんで『お稲荷さん』って名前になったんだろうね〜?」
ふむ(*‘ω‘ *)
なんでだろね(*‘ω‘ *)?
「油揚げ」が「キツネ」の好物で、「キツネ」は「稲荷神」の「御眷属」で。それで「稲荷寿司」となった。
そういう説明は承知している。
だいたい「お寿司」がメジャーなファストフードとして拡がったのは江戸時代だし、「稲荷神社」が全国的に、かつ爆発的に拡がったのも江戸時代。
時代背景になにがあったかは分からないが、結果として、「寿司」と「稲荷神社」の結びつきが江戸時代の庶民の間にある種の「自然」を作り上げた。これだけは確かなことなんだな。

ちょっと気になってその発祥を調べてみたのだが、諸説がありすぎて、どこで始まったとか、明確な1点を指定できない。
だけど、文献に「稲荷寿司」が出てきた頃というのはわかっていて、その最初は「守貞漫稿」と言われている。もっとも、これは稿本で、刊行までにいたらなかった書物らしい。
文書による記録ということで言うなら、これが「稲荷寿司」について書かれたもっとも古いものということらしいのだが、それがだいたい天保年間のもの。
記述には「天保よりも前からこれ(稲荷寿司)あるか。」と書かれているので、天保の前から存在していたとすると、文化文政の頃。ざっくり言うと1800〜1830年あたりのことになる。

ざっと二百年かぁ(*´ω`*)
それがとても意外な感じがしたし、なんだか、新しすぎる感じもした(*‘ω‘ *)
もっと古くてもいいような気がする。
少なくとも、「お稲荷さん」という名前とカタチと味は現代にまで伝わっていて、わが家の食卓では圧倒的な支持を集めている。
そこに二百年という時間が流れていることを微塵も感じさせない、堂々たる現役ぶり(*‘ω‘ *)

書いてたら、今晩も「お稲荷さん」を食べたくなってきました(^ω^ゞ

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