りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

ホントに「完結」したんだなぁ。。。

2021-06-03 22:49:29 |  映 画 
シン・エヴァンゲリオンを観て一週間ほどたつ。
一度ではわからないってことが膨大にあるのだけど、
「ちゃんと終わった」、「完結した」ということだけはハッキリ伝わって、
そのことでケリがついた思いというのが僕の中にもあったということを、
今更ながらに実感している。
確かにエヴァは「終わった」のだ。
なんというか、これは拡大解釈も甚だしいことを承知で言うのだけど、
長い時間にケリがついた!と言う実感。
例えば「平成にケリがついた」とか。ついつい言ってしまいたくなる。
これを大げさに感じないというのが、僕のリアルだ。
もっとも、また見に行ったりしそうだけど(^ω^ゞ

この「ケリをつける」と言うか、「落とし前をつける」と言うか、
制作者側の意志というべき、気合いに対する共感は
エヴァンゲリオンを観てきた人々に最低限共有されてるって、感覚的に思うのである。
説明のしようのない曖昧さとか、過剰なまでに重層的なイメージとか。
そのくせ暴力の意味を変えてしまうくらい暴力的な時代の空気とか、
そういう空気を、生命とか、歴史とか、普通の個人にはとても手に負えない
とてつもなく大きなモノと一緒に
背負わされてしまっていたことにあとから気づいたりとか、
もはや重荷でしかないはずの荷物を上手におろせず、誰かに助けてもらいながら
どこかに着地点を探すとか。。。それは、ひょっとしたら、
見ている側も背負い続けてきた某かのものであるかもしれない。
目の前で展開される映像の凄まじさや、静けさに、どうしたことか?
自分には関係ないっ!と言えない共感を覚えてしまう。。。
少なくとも、エヴァの完結を見届ける必要のあった人たちには、
勝手に片付けられない複雑な何かがずっと託されていて、
やっとそれを解き放てる、「ココ」というタイミングを
ずっと待っていたのではなかったか?
それが現在と言うなら、もう、いろんな意味で出来過ぎだ。

エヴァの「呪縛」から人々を解き放つには、当然、エヴァがその解呪にあたらなければならなかった。
そして、その責任を見事に果たした。
遅ればせながら、僕らはそれを映画館で目撃することができたと。

そんな話をおいっ子のひかるくんとしていると、確かに引き受けていた荷物があって、
それが何であったのかを、思いつくところからやっと確認しているかのような。
そんな風に思えたりする。

少なくとも、この重荷をひかるくんが担ぎ続けることのないように。





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