学校で覚えさせられて、それでかろうじて名前だけは知っている。
そういうことなら、むちゃくちゃたくさんある。
とにかく覚えろ!が至上命題というか、そもそもそれこそが学校という場所における
日々の目的そのものだったはずなのだけど、
例えば歴史的名著の名前を山ほど覚えたところで、中味を知らずにいるってどうなのさ?
っていうことは、子供ながらに思っていた。
もっとも、なんで今さらそんなことを思い出したのか?
知識って、そもそも難しい。
たくさん知っていればそれが知識になるのか?という疑問はまことに正しいと思うけど、
知らずにいて知識が体系化できるか?と言えば、その提議も、実に正しい。
知らなければ、いつか手に取るという可能性はものすごく遠のく気もする。
でも、もっと表面的に、例えば永遠に読まないであろう本の名前を「たくさん知っている」というのは
よくよく考えると不思議なものだ。
「いつか」が「永遠にこない」かどうかはさておき、
こういうのって「知らないこと」のリストがただただ膨れ上がっていく。。。
あるいは、道がどんどん伸びていくような。
だけど、そうした事実上「ムダなこと」っていうのが支えている世界も、
それはそれで広大だったりする。
っていう事実を見れば、「ムダなこと」は事実上「ムダではない」。。。とか?
いや、先日、「神学大全」という本を手にして、ふと読んでみようと思ってしまったもので(^ω^ゞ