オザワくんの「So kakkoii 宇宙」について、思いついたことを
あれこれ書いているのだけど、歌詞の一節の気になるところ、
例えば「高い塔」なら「ねずみ小僧が住んでいたという橋のあたり」とか、
アタリはつくんだけどホントのところはどうなのさ?って、
それじゃちょっと検索、っていうようなことをたくさんやった。
wikipediaに載っている情報はあんまり面白くない。
でも、「ねずみ小僧」なら、人形町あたりで生まれて、お父さんは歌舞伎関係者で、
どういうわけか捕まって、処刑されて、その後に
歌舞伎の演目になっちゃうっていうのは、なんというか、
いかにも!って感じがする。
「ねずみ小僧が住んでいた」場所というのは諸説あって、
というか、そもそもひとつところに長くいることはなくて、
転々と棲家を変えていたらしい。
リアルな泥棒の姿なんて、あんまり面白いものではないけれど、
これが「義賊」というイメージを纏うと、俄然カッコよくなってくるから不思議。
「願望」の方が、史実とされていることよりも、よっぽどリアルっていうのは、
それだけ「願望」が具体的ということか?
「義賊」と言えば「石川五右衛門」か「ねずみ小僧」が決定版!のはずだけど、
五右衛門の実際に較べると、ねずみ小僧の実際は
なんとも哀れなほどのコソドロ感が満載。。。もっとも、ホントのところの
詳しい事実ってことになると、両者ともにあやふやなまま。
しかしながら、人々のイメージ、というか願望は
泥棒にある種の救いを見る。
さらには美学まで、美しさまで被せてしまう?!
そうなのか。。。
願いや祈りの方が大事なのだ。
そこに美しさを込めるからには。
「フクロウの声」と「大きな魚の水音」から「宇宙の力」へ/オザケンの宇宙論(3)