中学生の頃のことをふと思い出した。
授業中、後ろから肩をポンとされ、それとなくふりむくと、「はい」と声に出さずにマンガが差し出される。
ビックリしたのは、それが読みたいと思っていた「ガラスの仮面」という
かの名作マンガだったから。
なぜ、僕がこれを読みたいということを知っている?
そのときは、そんなことさえ思いもよらなかった。
目の前に、読みたかった「ガラスの仮面」が差し出されたのだ。
どうしたってまずは読んでしまうし、
読んでしまえば続きが楽しみになる。
考えてみると、その状態はいまだに続いているとさえ言える。
「ガラスの仮面」は当時から「完結を見ることはないだろうな」という予感だけはあって、みんなの意見も一致していた。
しかし、本当なら、当時の僕はもっと別のところで驚くべきだったのでは?
女子にしか回ってこないはずのこのルートに、
「僕には回すように」という暗黙の了解が
いつのまにやらできあがっていて、
いつからか、それが当たり前になって。
本当に驚くべきポイントはそこだったのでは?
いまさらながら、ではあるけれど、そんなことをにわかに思い出す。
誰の好意でそうなったのか?いまだに正体不明ではあるけれど、当時の僕の鈍感ぶりはさておいて、この特別なコネクションのおかげで、
僕はかなりたくさんの少女マンガを知ることになった。
思い出せる作品を列挙するだけで、もうたまらなくなつかしい。
あの頃には思いもしなかった将来を、
いまの僕は生きているはずなのだけど、
存外、誰かの好意でできあがっている自分に
そうと気づかず助けられていることって
山ほどあるのではなかろうか?
などと思ったりする。
いや、思うだけでなく、そう実感することが、その証拠が、
これまでの人生にたくさん積み重なっていて、
それをちゃんと認めて、感謝するべきだとさえ思っている。
なんでこんなことを、「いまさら」思うのか?というと、
たいへん後れ馳せながら、ではあるけれど、
マンガ「海月姫」全巻を読了したばかりだからなのである。
僕の思い出は、あたりまえだが、「海月姫」本編とはなんの関係もない。
だけど、「海月姫」はどういうわけか、幼い頃の自分とか、
幼い自分がいたはずの小さなかわいらしいサークルとか、
それとははっきりわからない、
自覚のない思いだとか、好意だとか、
自覚を避けてきた愛だとか、
そういうことばかりを思い出させる。
他愛のないエピソードからはじまる突拍子もない展開が、
僕のどこを刺激したのか?
読了直後にこれを整理しようなんて気にはさらさらならないのだけど、
たまらずに言いたくなることなら沸々とある。
こちらには自覚がないのに、
ちゃんと愛されてるんだっていう証拠のオンパレードを
ひたすらに提示し続ける?!って、 作者の「愛」の深さはどれほどなのか!?
ホントについさっき、「海月姫」を読了したばかりなのに、
不思議なほど、僕はこの空気を知っている気がして。
なつかしい思いがして仕方がない。