彼の国の人はこういうのがホント好きだねえ。 大昔からあるのにさも自分が初めて考え出したかのように名前を付けてさ。
そんでまたニホンジンがこういうのに引っ掛かるんだな面白いくらいに。 舶来に弱いのね今でも。 自分の国にでも中国にでも前からあったりするのにさ。
そーれーはーさておき、これ、まんま全部 35 年は前からやってたよ私。
朝起きて天気が良かったら会社に具合が悪いと電話して空いてる山方面に走りに行ってたのも実家に行くのに静かな夜に走るのもこの著者の言う 「起動」させる時間なわけで、クルマであろうと単車であろうと目と手足が勝手に運転してくれる(処理容量の 10% くらいを割り当てれば十分だ)から " ボーッと考えていられる " わけだ。
とか、ね。 他にもあるよいろいろ。
普通の人がコレ読んでも何の役にも立たないと思う。 真似なんかできないから 1 年や 2 年じゃ。 あと、この本を全部読んだわけじゃないからあれだけど少なくともこの記事には重要なことがひとつ抜けてる。
それを書くと身も蓋もないし本は売れず話題にもならなくなるからしょうがないけど、知能が高くないと膨大な知識(情報)を複数の次元で串に刺して抽象化してコンパクトに(知恵に)するという作業ができないから、アタマん中で三次元モデルをクルクル回すように大陸の上にある構造物を並べ替えながら可視光で見たり中性子で見たり重力で見たりとかいうことがそもそもできない。
でもさあ、これが出来たって幸せや安寧になれるわけじゃないよ。
つまらないことは望まないほうがいい。 多寡や程度を言わないなら誰しもが持っているもの(意図して実行して何某かを引き出せるか否かの違いだけ)だし。 (そういう経験のひとつやふたつ、あるでしょ ? )